アメリカに一人残った宮本のたった一人の世界武者修行。宮本留吉は日記代わりのメモに「浅見緑蔵、安田幸吉君と別れ一人旅となる。心寂しきこと限りなし」と書いた。JGA派遣3選手の“団体旅行”から一人、茨木のプロ・宮本に戻り武者修行の旅である。2000ドルの派遣費用はどんどん目減りしていた。この先はトーナメントで賞金を稼ぎながらの遠征となる。心細かったに違いない。

 1932年1月下旬、たったひとり、サンフランシスコから列車で46時間かけテキサスへ向かう。サンアントニオでPGAツアーのマネージャー、ボブ・ハーローと落ち合い、いよいよ「スプリングツアー」への参戦だ。ハーローは奥さん連れで夫婦そろって宮本の面倒を見た。マネージャー兼運転手、チーム宮本のリーダーは早速、試合を組んでいた。
 第1戦は「テキサスオープン」だ。現在も州都サンアントニオのコースを次々と使って行われる伝統の大会は2016年に94回。1932年、10回目の記念の大会を迎えていた。宮本は、その前日のプロアマ大会でいきなり派手なデビューを飾るのだった。仲間と別れ不安いっぱいだったが、案ずるより産むが易しだ。
 ちょっと本題から外れるが、プロアマ競技だ。興味深いのは、すでにアメリカでは大会前に必ずこうしたアマとの交流があった。誰とでも楽しめるゴルフを一緒に楽しんだ後にプロの最高のプレーを見てさらにゴルフを味わう、といったスタイルがアメリカ流。ここにアメリカのトーナメント王国たるいわれがある。イギリスとは違い日本にはないゴルフの楽しみ方の追求が、アメリカではトーナメント草創期に早くも根付いていたことに驚かされる。
 さて、そのスタートのプロアマ戦だ。宮本は33,33の66の5アンダー(パー71)のコースレコードでチーム優勝し、まんまと賞金200ドルを手にするのだ。プロは本番の練習ラウンドも兼ね正規のチャンピオンティーからのラウンドだ。チーム戦とはいえスコアは公認され、正真正銘のコースレコードだ。ベン・ホーガンを生んだ土地柄だけにその評価は高い。チーム戦もハンデ12の地元トム・ルーとのコンビも冴え7アンダーの64で優勝した。その夜、町の映画館で行われた前夜祭ではスタープロのジーン・サラゼンと並んで大喝采を受け賞金200ドルである。翌日の新聞には特大の優勝カップを掲げる二人の写真がでかでかと躍った。

 1926年、日本で初のプロトーナメント「日本プロ選手権」優勝者の宮本には「初めて」に縁がある。1929年のハワイアンオープンに安田幸吉とともに初めて米遠征すると優勝争いに食い込み最終日、最終組を始めて回った。そして米本土初遠征のメンバー入り、そして日本人初のコースレコードである。テキサスのブラッケンリッジ・パーク・ゴルフクラブ、6185ヤード、パー71、サンアントニオの名コースを決して忘れてはならない。歴史的快挙である。

 だが、本番は苦戦する。「ローン・スター・ステーツ・オブ・テキサス」(唯一大きな星、テキサス)と50州で最も大きな面積を背景に大きなことにこだわるビッグステイツ・テキサスの試合は、身長160センチそこそこ、毛色の変わった小男の鼻っ柱の強さだけでは通用しなかった。大会はサラゼンと同組も予選落ち。その後の「ビルトモア・オープン」も不調だった。
 テキサスからフロリダへ。予選を通っても下位で低迷した。ある時エキシビションではトミー・アーマーと回った。マスターズがまだ始まる前に全米、全英オープンと全米プロ選手権の3メジャー、すべてのタイトルを手にした歴史上の名手である。1か月半が過ぎたころ、ハーローから全英オープンに出場することを知らされた。宮本は「あ、そう」という感じで受け止めていたが、そのことを聞いたアーマーが、フロリダでわざわざ声をかけ「ジ・オープンに出るんだって、それなら一緒にラウンドしよう」と誘い、フロリダの中でも最もイギリスっぽい、リンクスコースを選んでラウンドした。 
 宮本は「全英オープンの価値の高さを教えられた。出場するだけで私を見る回りの目が変わった」と緊張した。ハーローの中では、このとき全米オープンの出場も決まっていた。トーナメントで苦戦する宮本だったが、ジャパニーズ・ミヤモトのショット、パワーと、その明るいキャラクターに魅入られたハーローはすごいアイデアを温めていた。パインハーストでのボビー・ジョーンズとのエキシビションマッチである。

 
武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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