日本で36ホールを持ったゴルフ場の第1号は、埼玉県にある県内初のゴルフ場「霞ヶ関カンツリー倶楽部」だ。それまでのゴルフ場といえば〝国際基準〟となる「18ホール」が相場だったが、霞ヶ関CCは1929年(昭和4年)に18ホールのコースとして開場し、3年後に西コースをオープンさせ、36ホールとなった。旧来の東コースは藤田欣哉と赤星四郎の基本設計で、翌年、チャールズ・H・アリソンが改修。西コースは井上誠一が設計した。36ホールになった理由は、当時すでに500名ほどいた会員の間から「メンバーが増えてきたので、第2のコースを作ろう」という声が高まり、その要望に応えて起工された。これによって日本で初の36ホールコースとなり、また、国内で唯一の練習場を備えたコースにもなった。
 この頃、日本にはまだゴルフ場が50数コースしかなかった。今では2400コースほどあり、54ホールや72ホールなど、ホール数の多いゴルフ場も珍しくないが、このコースが有名になったのは、戦後の1957年に日本で初めて開催されたゴルフ・ワールドカップ(旧称・カナダカップ)の舞台となったからだ。この時の舞台は東コースで、2万人のギャラリーが詰め掛け、初のテレビ中継も行われた。この大会では中村寅吉が個人戦優勝し、団体戦も中村と小野光一組が制し、日本にゴルフブームを巻き起こした。
 霞ヶ関というと、どうしても東京の官庁街を思い浮かべるが、この地名は、後に川越市に編入されることになる(1955年)が、埼玉県高麗郡霞ヶ関村にできたからこの名が付いた。決して、東京ゴルフ倶楽部のように東京から移入されたものではない。
 また、カナダカップが行われたことで、このコースが有名になり、近くを走る東武線の駅名も「的場駅」から「霞ヶ関駅」に改称された。なお、東京メトロの「霞ヶ関駅」より古い。

 

似顔絵

 ◇古賀 敬之(こが・たかゆき)
1975年、報知新聞社入社。運動部、野球部、出版部などに所属。運動部ではゴルフとウィンタースポーツを中心に取材。マスターズをはじめ男女、シニアの8大メジャーを取材。冬は、日本がノルディック複合の金メダルを獲得したリレハンメル五輪を取材した。出版部では「報知高校野球」「報知グラフ」編集長などを歴任。北海道生まれ、中央大卒。

最新のカテゴリー記事

報知広告案内
報知チャリティ情報
ページ上部へ戻る