2016年の全米オープンが始まった。日本からは松山英樹、池田勇太、谷口徹、谷原秀人、宮里優作の5人が出場。中でもマスターズ7位の松山にメジャー初優勝の期待がかかるが、全米オープンといえば今から84年前の1932年に宮本留吉が日本人として初出場した大会だ。「プロゴルフトーナメント100年」の連載もちょうどその年代にさしかかった。当時を振り返っておこう。

 1931年から1932年にかけ日本の宮本と浅見緑蔵、安田幸吉の3人が米本土のウインターサーキットに参戦したことはすでに書いた。和号でいうと大正6年から7年。ハワイしか遠征したことがなかった日本のプロがはじめて米大陸に足を踏み入れたという歴史的初遠征である。一行はその後、二人が一足早く帰国したが、宮本だけがアメリカに残ると、春のサーキットに参戦、フロリダ、テキサスを転戦。そして、その流れでイギリスまで渡り全英オープンに出場、再びアメリカに取って返すと全米オープンに参戦したという大遠征が今回のテーマである。

 「アメリカに一人残され寂しき事、はなはだし。不安も募る」―
宮本は日記にそう記したが、現実は運命にもてあそばれていた、といった方が当たっているような毎日だった。大阪・茨木CCのメンバーが旅費、滞在費を集め「留吉を国際的な選手に育てよう」と送り出した遠征。アメリカからの呼びかけに日本が呼応、トップ3を送り込むとアメリカは予想以上に大歓迎で迎えた。サンフランシスコでは市長主宰のレセプションが開かれノースカロライナのパインハーストでは球聖ボビー・ジョーンズとのエキシビションマッチを行った。プロ協会のツアーディレクター、ボブ・ハーロー氏は小柄な飛ばし屋の“トム宮本”を日米ゴルフの橋渡し役として懸命に世話をした。彼には日米対抗戦をいずれ開催しよう、そんな夢があった。

 

 プロアマに出場すると必ずスター選手と組ませた。ジーン・サラゼン、トミー・アーマーはじめウォルター・ヘーゲンら超一流とはトーナメントのたびに同組となった。物珍しさもあったが、160センチに満たない小柄な日本人が向こうっ気を隠さず立ち向かう姿にアメリカは反応した。6月の全英オープンへの出場もハーローが決めてきた。もちろん、全米オープンもエントリーリストに入った。当時は客を呼べるプレーヤーであればツアーディレクターのさじ加減で出場できた。宮本は日本を代表する選手だった。こうして宮本の全英、そして全米オープンの出場は決まった。1932年4月、歴史は動いたのだ。

 イギリスへは5月はじめ、ニューヨークから5万7000トンの巨戦、マジェスティック号で5日かけて渡った。途中、フランスに寄港するのでフランス人が乗っていた。食事のとき婦人たちが赤い酒をのんでいた。下戸の宮本だが、注文して飲んでみた。初めての赤ワインだったという。全英オープンはドーバー海峡をのぞむサンドイッチのプリンスズ・リンクスで行われることになっていた。サザンプトン港に着くと「日本のプロが来た」と取材された。その記事を見た英国皇太子のプリンス・オブ・ウエールズ公が日本大使館を通じて「ぜひミヤモトとラウンドしたい」と興味を持った。その連絡をしたのは当時、英国大使官の吉田茂氏、のちのワンマン首相である。
 殿下とのラウンドは5月16日、コームヒルゴルフ場で、英国プロで殿下のコーチ、コムストンらと回った。殿下はご自分で車を運転してコースにやってきた、と宮本はその回顧録で驚いている。しかし、歴史の彼方の出来事には、こちらが驚くばかりである。
 全英オープンは6月6日始まった。宮本はコムストンと同組、注目の組だった。彼は英米対抗戦ライダーカップのキャプテンだった。吉田茂といい、殿下といい、“歴史上の人物”が揃いすぎている。殿下はのちの国王エドワード8世となったのち、米実業家の元夫人だったシンプソンさんと結婚、王位を弟に譲った。世紀の恋として知られる。
 宮本の全英オープンというより日本人初の全英は、79,79の10オーバー158で予選落ち。宮本は「missed put」を連発したため“彼の知っている英語はミスパットだけだった”と新聞に書かれた。

 

 そしていよいよ米国にかえり全米オープンだ。ニューヨーク州ロングアイランドのフレッシュメドウGC。宮本は1日目のアウトでいいプレーを展開したが9番パー5を2・OBで10とした。「これはいけるかな、と思ったが、すべておじゃんになってしまった」と悔やんだが、これがゴルフというものだ。この試合で勝ったのはかつて8年間、このコースの所属選手だったサラゼン。前週の全英オープンに次いでメジャー2連勝だった。サラゼンとは戦後、彼がジュンクラシックの名誉総裁となって来日した折り「トム、あの時、10をたたいたな」と言われた。全米オープン、そして全英オープンに日本人として初参加の宮本留吉のほろ苦い思い。しかし、分厚い歴史がいっぱい詰まった良い話としていつまでも記憶に残る。

 
武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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