2016年日本女子オープンは2日、栃木・烏山城CC、6506ヤード、パー71)で最終日を行い、高校3年生のアマ、畑岡奈紗(なさ)が優勝する大殊勲を挙げた。女子ゴルフ日本一を決める大会のアマチュア優勝は初めて。男女を通じてもアマ優勝は1927年の第1回日本オープンの赤星六郎以来、国内メジャー2人目の偉業となった。第3日首位の、15歳高校生アマ、長野未祈(みのり)と4打差5位スタートの最終日、畑岡はただ一人60台、3アンダー68のベストスコアをマーク、通算4アンダーで逆転優勝。最終18番で下りの4メートルのバーディーパットを入れる劇的な優勝を飾った。

 

 

 時代を変える日本女子オープンとなった。畑岡はじめ6位に西村優菜、惜しくも最終組で78と崩れた長野も10位とアマチュア3人がトップ10に入った。アマ3人のトップ10入りは1971年以来2度目だが、当時と時代が違う。優勝争いには連覇を狙う田仁智、申ジエ、李知姫の韓国勢がひしめき、「元気の良さでまた韓国の優勝か」そんな声が聞こえた大会だった。アマの大健闘。奇跡の優勝と位置付けてもいいだろう。

 

 

 今大会、プロは20歳の若手、堀琴音の2位が目立ったが、ここ数年のふがいなさは解消されないまま。そんな暗いムードをアマが救った。やはりミラクルだったのだ。

 

 畑岡、そして健闘・長野の足取りをたどると地に足のついた地道な努力が垣間見える。

 

 

 畑岡は1999年1月、“ゴルフ銀座”茨城・笠間の生まれ。コースキャディーの母の影響で、11歳でゴルフをはじめ14年日本ジュニア2位、15、16年には年齢別の世界ジュニア優勝、16年には女子アマの最高峰、日本アマ選手権2位と力をつけた。小学校高学年では野球、中学時代は陸上短距離で県大会200メートル7位。最終ホールのウイニングパットのうまさはコース慣れしたセンスを感じさせたし、4日間を支えた切れ味鋭いショットは、短距離ランナー出身、あの韓国出身の名選手・朴セリを彷彿させた。そして影の参謀、中島常幸の存在だ。

 

 

 元祖、ジュニアゴルファー。17歳で日本パブリック選手権、その後日本アマのタイトルを手にプロ入りし、日本オープン、日本プロ選手権など日本8冠のレジェンドは笠間、静ヒルズCCでジュニアのゴルフアカデミーを主宰する。畑岡はその300人に及ぶ教え子の一人。そして長野もまたこの5月に同アカデミーに入学していた。

 

 

 長野は東京・江戸川在住。高校は千葉の進学校・麗沢高。小学生低学年で始めたゴルフは千葉・北谷津ゴルフガーデンが本拠だ。ジュニアゴルフスクールのゴルフの老舗。同ガーデンの校長は千葉晃プロ、池田勇太の育ての親だ。もう30年になる。市原弘大、薗田峻輔、石川遼ら教え子は数えきれない。千葉さんはジュニア育成のパイオニア的存在。そして、2020年東京五輪を見据えた強化を長期的に推進する指導者のひとりだ。この5月、めっきり力をつけた長野を静ヒルズのアカデミーに”転校“させている。「ラウンドはいつでも思う存分、暗くなるまでも回れる練習環境を与えた」。欧米にあり、いまの日本に最も不足している、コース利用環境の格差は日本ゴルフ界の課題だ。「長野の素質をさらに磨きあげるにはコースで覚えてこそ力がつく」(千葉)のだ。長野の健闘、畑岡の結実は、周囲の努力、配慮、ビジョンの結実である。

 

 

 歴史的なアマ優勝は関係者の描いた設計図と張り巡らした環境のたまもの。もっと密に、さらに厚く取り組んでほしい。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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