沖縄・琉球GCで開幕の女子プロツアー「ダイキン・オーキッド・レディス」はプロ1年生の川岸史果(ふみか、22歳)が最終日をトップスタートで迎え逆転を許したが、2位を占める好成績を挙げた。日本アマ優勝のトップアマからプロ入り6勝を挙げた父、川岸良兼と、日本女子アマに優勝、プロ入りした母・麻子(旧姓・喜多)を両親に持つ“良血”。日本ツアー3度の賞金女王のアン・ソンジュ(韓国)を相手に一歩も引かない落ち着いたプレーぶりに大物感を振りまいた。

 

 よく曲がったが、良く飛んだ。ドライバーに修正の余地はあったが、アイアンのグリーンヒット率は77・77%の首位。昨年夏、4度目のプロテストでようやくプロ入りした苦労は引きずっていたものの、大物らしさをふんだんに振りまいた新人の戦いぶりには好感が持てた。

 

 勝負の3日目の最終18番、2オンを逃した左バンカーから30ヤードを超える最難関のバンカーショットが印象的だった。強風に高弾道のドローボールをあおられてバンカーに入れた川岸史果のピンチ。だが、難しいショットを30センチにつけるバーディーで首位を維持する姿に、“これは勝てる!”確信に似た強い思いがあった。

 

 良兼譲りのこだわり。父もまたバンカーショットは必ず最も難しいといわれる遠い距離の練習をした。「遠いバンカーショットは球のぎりぎりにクラブを入れないと、思った距離が打てず、スピンも効かない。この距離を磨いておけば世界のどこのバンカーでも攻略できる」―プロ転向が89年、その翌年の90年、ツアーに本格参戦すると静岡オープンなど3勝を挙げ、賞金ランク3位は期待通り。だが、その後、8年で3勝しか挙げられなかったが、娘もまた遠いバンカーショットにこだわりを持ってやっていたのだ。うれしかった。父の教えはしっかり引き継がれ、娘はくやしさをその執念とともに引き継ぎ受け止めていた。

 

 日大出身の両親はともに1989年プロ入りの同期生。ナショナルチームメンバーとして日本を代表し世界と戦った。父は倉本昌弘の指導のもと世界に乗り出しその飛距離で豪州のグレッグ・ノーマンに「絶対、日本を代表するプレーヤーになる」と断言させた。母はプロ転向したが、92年には長女、そして94年、史果を出産、表舞台から引いた。

 

 二世選手は期待が重圧となるようだ。名手を超える跡継ぎの活躍は古今東西、何処の国においてもまれだ。だが、DNAは才能をつなげ、いつの時代も周囲に期待を提供する。そこに親の夢、子供の、孫の、そして、見る者の夢が託され増幅していくもののようだ。

 

 川岸史果は今回が勝たなくてよかった、と結論づけることにする。

 

 “何を言ってるんだ、バカ”と言わば言え。「緊張して自分の首を絞めたラウンドだった」と史果はしおれている。しかし、めげてはいない。その証拠に「悔しいけれど」と前置きして「父と同じにならないようにしています」とおっとりとした物言いと悠揚迫らざる表情で悠然としている。

 

 怪物と言われながら掛け声だけに終わった父は昨年50歳となりシニアツアーデビュー、そして、プロ人生を全うできなかった同い年の母は今回、娘をキャディ―として支えた。

最強軍団のサクセスストーリーはいま始まったばかりなのだ。晴れ舞台はこれから幕が開くことを娘は知っているのだろう、きっと。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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