ナニをもって完全復活というのかは置くとして、石川遼(26)の日本ツアーカムバックはうれしい光景だった。日本男子ツアーの国内開幕戦「東建ホームメイトカップ」は4月15日、三重・東建多度CC名古屋で行われ、熊本出身の重永亜斗夢(29)が第3ラウンドの4打差を守り切って12アンダーで優勝。熊本地震復興に力強い支援となったが、2位石川の存在感もまた元気を注入して収穫だった。

 

 今大会、石川は日本ツアーに6年ぶり復帰。長く日本を留守にして昨年末、帰国した経緯は誰もが知るところ。10代半ばで開花を迎え、鳴り物入りの世界挑戦は最後、腰痛やけがに阻まれ海外での活躍の場を失うという、いい方によっては、尾羽打ち枯らしての悲劇のストーリーだった。マスターズにまで出場した男が、米の2部ツアーで次期シーズンの出場資格取得を目指すところまで追い込まれたが、それにも失敗、やむを得ず日本での再スタートとなったのである。

 

 だが、今回、堂々と存在感を見せた。初日、2日目と首位に立ち3日目2位に後退した東建は最終日に最終組で1打差の2位。しかし、優勝した重永には失礼ながら大会の主役は終始、石川。敗れて悔やまず、なにより明るく先につながる希望が見えた。

 

 この大会には3試合連続優勝の偉業がかかっていた。即ち、エピローグは4月5、6日の後援競技「千葉オープン」を4アンダーで優勝。その足で岐阜に移動すると、7、8日開催の「岐阜オープン」も7アンダーで優勝した。いずれも2日間大会だが、簡単にできる事ではない。日本ツアーの連続優勝記録は3週連続、あるいは3試合連続でジャンボ尾崎、青木功、片山晋呉ら5人が9回にわたって達成している。これはツアーの公式記録で4日間72ホールの公式、公認競技に限定だ。今回の石川は地区大会、だから勝ったとしても条件付き3連勝。
 しかし、練習ラウンドも含み12日間で3勝なら従来のどの記録よりも短期間でのスピード記録となるところだった。初めの2戦には片山晋呉、宮本勝昌、藤田寛之らシード選手が多数出場。その厳しい日程とともに出場選手の質が高くフィールドのタフさの2点においても、その健闘は称賛に値する。

 

 07年、「マンシングウエアKSBカップ」を15歳で制して世界中を驚かせ16歳でプロ入り17歳にして1億円を稼ぎ18歳の09年、史上最年少の賞金王になった。だが、13年から米ツアーに本格挑戦してからは2位2回、世界の荒波の中、約束された優勝の回数は日本限定にとどまっている。いま、そんな石川に必要なのは何か。とにかく勝つことだろう。優勝カップの感触こそが復活のきっかけとなり力となる。常々そう思い、機会あるごとに期待し注目してきたが、今こそ得意の日本ツアーで、今季どれだけ最終日に表彰台にあがるのか。一つ試してみませんか、とここにけしかける。
 「皆さんが驚いて、ちやほやしてくれると力が出る。それがうれしくてまた意欲が出る。乗せられるとどこまでも行っちゃうタイプの僕は自己顕示欲が強いのです」と明かしたことが頭の片隅にこびりついている。意外な面だったが、“そうなんだ”と納得があった。
 今回の3連覇は惜しくも失敗に終わったが、周囲を驚かせ、その結果、自分を奮い立たせる糧(かて)としよう-そんな姿が垣間見えた。
 これだよ、これ。自己顕示。自己を、顕示して道を開く。
 そこで年間11勝、今年のノルマをここに課して励ましとしようと思う。そう、そのくらいの意気込みでやったら先は見えてくる。世界が広がる。苦境を乗り越えた今季。はるかにタフさを身に着けたくましさを増した、とみた。11勝?日本トーナメント史上、シーズン最多勝利数はジャンボ尾崎の1972年の10勝。ツアーが立ち上がる1年前だったから知らない人の方が多い記録である。記録男の石川にはそれを上回る新記録達成。されば復活の狼煙(のろし)となるはずだ。復活ドラマとしてこれ以上のものはない。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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