経済界に幅広い人脈を持つ松井功・日本プロゴルフ協会相談役 (72)=スポーツ報知評論家=が、財界トップランナーにゴルフや経営について聞く「松井功のグリーン放談」。第8回のゲストは、株式会社コモンズ代表取 締役会長で、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事の高橋治之さん(70)。電通時代、次々と大イベントをプロデュースし「日本のサッカー界を 変えた男」といわれる高橋さんは、2020年東京五輪招致でも重要な役割を果たしていた。(構成・鈴木 憲夫)

ƒOƒŠ[ƒ“•ú’k—p松井「高橋さんといえばサッカーですが、ゴルフはいくつぐらいから?」

高橋「20歳ぐらいですが、大学ではアイスホッケーのクラブを立ちあげてやってましたから。熱心にやったのは会社(電通)に入ってからです」

松井「この写真は?」

高橋「ロサンゼルス五輪組織委員長のピーター・ユベロスと、サイプレス・ポイントですね」

松井「いいコースですよね」

高橋「僕はオーガスタより素晴らしいと思いますね。オーガスタは米CBSが招待してくれました。(マスターズ最終日の)翌日プレーして41、43でした」

松井「すごい。ハンデは?」

高橋「一番良いときで7ぐらい。今、13です」

松井「長嶋監督ともゴルフ仲間でしょう?」

高橋「しょっちゅうやってました。監督は勝負強いのなんのって。最終ホールはまずバーディー。プッシュされてひっくり返されて(笑い)」

松井「ユベロスさんのゴルフはどうなんですか」

高橋「上手ですよ。ハンデは8ぐらい。ピーターはサイプレスの隣のペブルビーチのオーナーなんです。友達何人かと買った。自宅のあるロスから自家用ジェットで来る」

松井「本物のセレブですね。プラティニ(元フランス代表、現欧州サッカー連盟会長。愛称は将軍)ともよく回る?」

高橋「彼はまだ(ゴルフを)始めて日が浅いんですけど、ひどいんですよ、カートでグリーンに乗っちゃう(笑い)。でも誰も文句言わない。フランスじゃ王様だから。みんなパスしてくれる。彼のショット、見たいんだよね(笑い)。それがこの間、UAEで回ったらうまくなっちゃってて。もともと力あるから、300ヤードぐらい飛びます」

松井「ほー」

高橋「あとうまいのはベッケンバウアー(元ドイツ代表、現独サッカー協会副会長。愛称は皇帝)。シングルもシングル、4ぐらいですよ。今の奥さんに子供ができて、オーストリアとドイツの国境あたりに山小屋風の家を建てた。そこに招待されて(ゴルフを)やったんですけど」

松井「だいたい、どこ行ってもゴルフですね」

高橋「ゴルフはいいですよ。仲良いのが、ますます良くなりますし、お互い年をとっても楽しめますからね」

松井「W杯でブラジルに行ってましたね」

高橋「W杯観戦というより、FIFAのブラッター会長に東京五輪招致をお願いしてたんで、そのお礼です。彼はIOCの委員で、他の委員にも影響力がありますから」

松井「高橋さんは海外のVIPを大勢、知ってますからね。東京に決まったのは“おもてなし”のおかげだけじゃない。サッカー界だって電通と高橋さんがいなければ、今の隆盛はないでしょう」

高橋「昔のサッカー協会は惨たんたるものでし たからね。客も入らない、金もない。テレビは放送してくれない。しかし、僕が電通をやめるときに、協会から銀杯に感謝状というのをもらった。『今ある日本 のサッカーの発展は、あなたの功績のおかげです。特にブラッター会長と親睦を深め、2002年のW杯招致もできました。ここに感謝します』って」

松井「富士フイルムはFIFAオフィシャルサプライヤーにもなっていましたね」

高橋「富士フイルムはロス五輪のスポンサーになったんです。アメリカで五輪をやるなら、普通はコダックでしょう。当時は泣く子も黙る巨大企業だった。ところが、なかなか(スポンサーの)書類にサインしないというので、必死になって富士フイルムを口説きに行った。しかし、富士フイルムは本気にしない。ロスなんかに出て行ったら潰されるというわけ。まあ、最終的には富士フイルムも、そこまで言うなら、と。当時は現像、焼き付けまでオフィシャルDPEを各会場に設置しなきゃいけない。大変ですよ。でも、 おかげで世界中で売れるようになった。富士フイルムは昔からスポーツに理解のあるスポンサーですね」

松井「MLBの中継も高橋さんが仕掛けたんでしょ?」

高橋「ピーターがロス五輪の後、MLBのコミッショナーになったでしょう? で、電通で放映権を買えと言ってきた。しかし、どこも放送してくれずフェードアウトしていった。しばらくしてNHKの島さん(桂次氏、元会長)が『僕はMLBが本当のベースボールだと思う』と言って、NHKが放映権を買うから交渉してこいと。衛星放送開始に向けて、 『NHKは衛星で3チャンネルある。何やる? 野球だろう』と。衛星放送の将来のためにって」

松井「先見の明がありましたね」

高橋「当時の局長から『へんなもん買いやがって』とお叱りを受けたが、そのうち化けるから見てろって言ってたら、案の定、その翌年ぐらいに野茂がメジャーに行った。途端に、みんな見る。トルネード。利益率がグーンと上がりました。局長は黙っちゃって(笑い)」

松井「アメリカのサッカーはどうなんです?」

高橋「長らく不毛の地といわれてましたけど、アメリカW杯の組織委員長だったアラン・ローゼンバーグが、メジャーリーグサッカー(MLS)をつくった。彼に頼まれて電通が出資したんですよ。将来性があるとみて」

松井「いくらぐらい出したんですか」

高橋「当時8億ぐらいかな。成田さん(豊氏、元社長)が渋々、OKしてくれた。この間のW杯でも、アメリカが大善戦したでしょう? 視聴率がすごかった。パブリックビューイングはどこも満員ですよ」

松井「アメリカの国民は、サッカーに対する目が開かれたんですね」

高橋「僕はずっと可能性は十分にあると言ってた。なぜなら、移民の国でしょう、アメリカは。ヒスパニック系が非常に多い。人口は2億何千万といるわけだから。十分に成り立つんですよ」

松井「高橋さんは東京五輪組織委員会の理事になりましたね。ゴルフも五輪競技です」

高橋「その前に、東京五輪の会場(霞ケ関 CC)に反対している人がいるんですよ。確かに最初、IOCに提出した書類には若洲GLとなってた。僕はJGAのアドバイザリーボードもやってますが、 我々はその話を聞いて、無理だと。世界中からお客さんや報道陣が来るんですから。少なくとも27ホールないとダメなんです。報道用の施設や、ホスピタリ ティーの設備も完備しなきゃいけない。素人が考えても、若洲でオリンピックをやるのは無理です。(組織委員会の)森会長(喜朗氏、元首相)からも『なんで 霞ケ関なんだ』と言われましたが『霞は歴史も伝統もある立派なコースで、なおかつ36ホールあります。確かに交通の便は良くないが、それは埼玉県が協力し てくれれば大丈夫です』と言っときました。近ければいいというもんじゃない」

松井「カナダカップで日本が優勝した名コースですからね。ところで、日本の男子ツアーが沈滞しています。名プロデューサーの目から、何か盛り上げ案はないですか」

高橋「昔から思ってるんですけど、組織がゴチャゴチャしてますね。総本山のJGAの下にプロ部門のPGAとLPGA。これだけでいい」

松井「女子もシニアも、お行儀が良くなった。スポンサーに頭を下げられるようになった」

高橋「会長の教育が行き届いていますからね。 樋口さん(久子相談役)とか、松井さんとか。その点、男子のレギュラーツアーは徹底されてない。プロアマ出たってお客さんのことなんか見向きもしない。そこへいくとシニア(のプロアマ)は楽しかったし、女子プロも楽しいですよ」

松井「ゴルフ界にとっても2020年の東京五輪というのは、いいきっかけになりますね」

高橋「いいチャンスだと思いますよ。ゴルフでもオリンピックに出られるんだとなればね。ゴルフやる子供たちもどんどん増えてくるでしょうし、裾野が広がれば、いい選手も出てきますよ」

◆高橋 治之(たかはし・はるゆき)1944 年4月6日、東京都生まれ。70歳。67年、慶応大学法学部を卒業し、株式会社電通入社。2004年常務取締役、07年専務取締役、09年顧問、11年に 退任し、コンサルタント会社の株式会社コモンズ設立、代表取締役会長就任。

77年「ペレさよならゲーム・イン・ジャパン」をプロデュースし、大成功を収める。以降、ワールドユース、ユニセフオールスター、トヨタカップなどサッカー界の大イベントを次々と成功させ、02年 日韓W杯招致にも尽力。アベランジェ、ブラッター両会長をはじめFIFAに太いパイプを持ち、“日本のサッカー界を変えた男”といわれる。慶応連合三田会 常議員、日本ゴルフ協会アドバイザリーボード、日本馬術連盟東京五輪選手強化対策プロジェクト委員、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 理事。

◆松井 功(まつい・いさお)1941年11 月2日、神戸市生まれ。72歳。富士ゼロックス専属。用具契約はキャロウェイ。18歳で林由郎プロに師事し、66年プロテストにトップ合格。翌年、プロデ ビュー。主な戦歴は72年静岡オープン2位、79年全日空札幌オープン4位、80年ミズノゴルフトーナメント6位など。91年からシニアツアーに参戦。 2002年、日本プロゴルフ協会理事就任、広報委員長を経て、05年会長に就任。2期務めた後、13年から相談役。一般財団法人日本プロゴルフ殿堂理事 長、NPO法人日本ジュニアゴルファー育成協議会(JGC)理事長、阿山カンツリー倶楽部理事長。烏山城カントリークラブ会長。

松井 功(まつい・いさお)
1941年11月2日、神戸市生まれ。72歳。富士ゼロックス専属。用具契約はキャロウェイ。18歳で林由郎プロに師事し、66年プロテストにトップ合格。翌年、プロデビュー。主な戦歴は72年静岡オープン2位、79年全日空札幌オープン4位、80年ミズノゴルフトーナメント6位など。91年よりシニアツアーに参戦。2002年、日本プロゴルフ協会理事就任、広報委員長を経て、05年会長に就任。2期務めた後、13年から相談役。一般財団法人日本プロゴルフ殿堂理事長、NPO法人日本ジュニアゴルファー育成協議会(JGC)理事長、阿山カンツリー倶楽部理事長。烏山城カントリークラブ会長。

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