政財界に幅広い人脈を持つ松井功・日本プロゴルフ協会相談役(73)=スポーツ報知評論家=が、各界のトップランナーにゴルフや経営について聞く「松井功のグリーン放談」。第13回のゲストは、ゴルフ中継の解説でおなじみの戸張捷ランダムアソシエイツ代表取締役(69)。日本ゴルフ協会(JGA)常務理事として、日本オープンの改革にも力を注ぐ名プロデューサーは、日本のゴルフ界を憂うる熱血漢だった。(構成・鈴木 憲夫)

50年以上の長い付き合いの松井功プロ(左)と、戸張捷さんは対談でも息がピッタリ(東京・銀座の日本プロゴルフ殿堂事務局で)

50年以上の長い付き合いの松井功プロ(左)と、戸張捷さんは対談でも息がピッタリ(東京・銀座の日本プロゴルフ殿堂事務局で)

 松井(以下松)「捷ちゃんとは長い付き合いだね」
 戸張(以下戸)「僕が高校生ぐらいからですね。僕は高校1年からゴルフ始めたんですけど、それまではラグビーやってて。で、僕のおやじが死んで、我孫子の会員権を相続して」
 松「父親同士は我孫子で知り合いだった」
 戸「(松井プロの)弟と同級生で、その下の弟まで大学のゴルフ部に入ってきて。で、茨城ゴルフ行って(研修生の)松井さんに『安くやらせろ』とか言って(笑い)」
 松「飯は? 俺の名前で伝票書いとけって(笑い)」
 戸「お世話になりましたね(笑い)。松井さんには、普通のプロゴルファーでいてほしくないというのがあった。だからリーダーシップ持って、いろんなことで頑張ってよって話を、現役の頃からしてたね」
 松「してたね」
 戸「それにね、昔から貧乏という雰囲気が漂わない人なんです。飯食いに行くと、なんだかんだ言いながら、この人が払っちゃう」
 松「青木功プロにも言われる。松ちゃんごちそうさまって。あんだけ稼いでるのに(笑い)」
 戸「古い言い方すると、金の切れが大変いい人なんです」
 松「有難くねえや(笑い)」

 松「ダンロップの時は、いきなりゴルフ担当じゃないでしょ?」
 戸「最初はタイヤの営業から全部やりました。入社1年ぐらいして、ゴルフやれと。で、松井さんところへボールの契約しに行って」
 松「いや、正しくはそうじゃない。『功ちゃん、あなたの腕じゃまだ契約できない』って。『月例で優勝か2位になってこい』って(笑い)」
 戸「そんな失礼なこと、言った?(笑い)」
 松「言ったよ。その後、大西久光さんと捷ちゃんの2人が今のゴルフトーナメント作ったんだよね。ダンロップトーナメントで功ちゃん、金出してって。(俺は)プロなのに(笑い)」
 戸「プロアマの枠を売ってたわけですよ。一口いくらで。売れなくてね。そもそもはダンロップの上司に大西久光さんという人がいて、営業以外で販促できることを考えようぜって、トーナメント作ろうと。で、人に説明に行くのに、自分たちがやってないと示しがつかないって、ダンロップトーナメント作った」
 松「大阪の箕面GCだったね」
 戸「その時はまだ、(中村)寅吉さんも出てたし、林由郎さんも、小針(春芳)さんも出てました。今のダイヤモンドカップ。それでダンロップスポーツエンタープライズ(DSE)って子会社ができて、作ったのがフジサンケイであり、ワールドレディスなんですよ」
 松「最初は男子の試合からだよね」
 戸「ワールドレディスは日本テレビの開局20周年かなんかだった。世界中からいろんな選手を集めて、女子の新しい面を見せようと。その時、世界アマのアメリカ代表でプレーしてたのがローラ・ボー。これがかわいくて、呼んじゃった」
 松「強いプロもいっぱい呼んだよね。けっこう、金かかったんじゃない?」 
 戸「かかったけど、当時はほとんどの選手はエコノミーだった。まあ、賞金も安いんだけど、呼ばれたプロは名誉に感じてくれた」
 松「でも当時、みんな言ってたよ、女子の試合なんか作って、戸張は何、考えてんだって。LPGAは危ない時期もあったんだから」
 戸「結構、辛抱強くやったんです(笑い)」
 松「男子はAONが出てきたからね」
 戸「その前に、杉本英世、安田春雄、河野高明のビッグ3。大西さんがビッグ3エンタープライズってのを作ってね。ダンロップが金出して興行打った。1日イベントで誰が勝つか。そこにジャンボが出てきたんだよね。ビッグ3プラス1で、西日本を回った」
 松「当時、『ジャンボに挑戦』と言うテレビ番組があって出たんだよ。ジャンボが俺を指名してくれて。毎ホール、30~40ヤード置いていかれた」
 戸「パーシモンで正真正銘、300ヤード飛んでたからね。圧倒的な飛距離だった」
 松「でも、勝負は俺が勝ったんだ。野田で69で回って」
 戸「それはすごい」
 松「本当に飛んでた。この人(戸張)も飛んでたけどね」

 戸「一応、日本アマではベスト10に入ったとか、ジュニアで3位でしたとか。そんなもんですよ。日本オープン(1967年)出たというのは、当時のアマチュアとしてはまあまあかな」
 松「まあまあどころじゃない」
 戸「広野でやった日本オープン出てね。初日が中村寅さんと同組だったのよ。いきなり1番で最敬礼(笑い)」
 松「しかし、学生の時にオープンで教えてもらった寅さんに、後に試合を作って出てもらうんだから、面白いねえ」
 戸「面白いですね。僕が幸いだったのは、プロの人たちと普段、なんとなく付き合ってて、お前がやってんだからいいよって、(どんな企画も)許してもらった」
 松「要するに仲間だよね。みんなプロの一員として見てるから」
 戸「仲間だね」
 松「それで違う才能でもずば抜けてる人だから。尾崎も青木も中嶋も、何も言えないよ」

 松「来年、烏山城CCで日本女子オープンをやりますが最近のアメリカのコースセッティングは、あまりホールを狭くしないの?」
 戸「ちょっと方針が変わってきて、マイク・デービスというUSGAのエグゼクティブディレクターは、これだけ飛ぶ時代になったら、距離を長くするとか、狭くするだけじゃだめだと言って、パー4でワンオンを狙わせてミスを誘ってボギーにするとか、セットアップの方法をどんどん変えてきてる。マイクの部下にも来てもらって、オープンのセッティングを教えてもらってるんですよ」
 松「烏山城CCは必要のない木は結構切られて、印象が変わった」
 戸「例えばオークモントは、全米オープンの前に3年かけて5000本切った。2年前のオリンピックも3000本ぐらい切ったのかな。設計家は地形に沿ってホールを置いていく。ところが、日本の名門コースにありがちなんだけど、役員が変わると、どんどん俺の木みたいなのを植えていくんだよね。桜が好きだ、杉がいいとか言って。本来の設計家の意図がどこかへ行っちゃう。烏山城CCは大変、面白いコースだから。あんないい地形で、井上誠一さんが設計したコースの中でも、ベスト幾つに入ると思うけど、そのコースの本来の良さを生かすなら、余分な木は切ったほうがいい」
 松「戦略上、あったほうがいいのならいいけど、枝ぶりがいいとか(笑い)」
 戸「日本は農業国家だから、木は生き物だって考えてるからね(笑い)」
 松「基本概念はフェアにということだよね」
 戸「もちろんです」
 松「この間出てた日本オープンのオープン化。あれは画期的なことやったね」
 戸「いろいろ抵抗もあるんですけどね。でも日本オープンは全てのゴルファーに夢を与えないと。それで、JGAのハンデを取れば誰でもチャレンジできますよと。次に地区予選にはプロはだれでも挑戦できる。ティーチングプロでも」
 松「いいね」
 戸「それと日程的な問題ね。10月に日本オープンをやってると、日照時間が短くて、120人しか出せない。アメリカは真夏にやって156人出せる」
 松「だから北海道で女子オープンができないんだよね」
 戸「そう。北海道でやりたいコースあると思うんですよ。日本のゴルフ界のためにも、何としてもやりますから」

 松「JGAが総本山だから、やらなきゃいけないことがいっぱいある。ゴルフ場の開放とか」
 戸「そう。アメリカだとメンバーシップコースでも午後の3時ぐらいになると、メンバーの家族、地域のジュニアにセルフで無料でやらせてくれる」
 松「JGAがリーダーシップ取らないと」
 戸「JGAそのものを改革しないとダメ。それと、PGAもLPGAもJGTOも、組織に問題があるでしょ。最終的には、4団体でいわゆるフェデレーションを作って、さまざまな問題をそこがちゃんと対応していくようになればいいと思うけどね」
 松「男子ツアー、どうしよう」
 戸「一番大きな問題は、今、アメリカのツアーが世界に君臨してる。高い試合だと賞金総額10億円とか。そうすると、世界中のプロがそこを目指す。米ツアーだけがどんどんクオリティーが上がる。そういう中で、日本のツアーがどうあるべきか。マレーシア、香港とかはヨーロッパツアーに入って、ヨーロッパで放送することによって、賞金も上がってきてる。日本はかろうじて相乗りでついて行こうとしてるけどね。そういう構図の中で日本はどうすべきか。米ツアーの下部ツアーに入っていくとか、いくつかはヨーロッパに組み込んでもらうとか。日本のツアーだけを大きくしようと考えても難しい。もっと大きな視野の中で、ヨーロッパとどうするか、アジアとどうするかを考えないとね」

 ◆日本オープンの改革 今年の日本オープン(10月、兵庫・六甲国際GC東C)から予選制度が見直される。最初の予選を「ドリームステージ」とし、JGA公認ハンデキャップを取得していれば、誰でも出られるようになった。これまで、一般アマが本戦出場を目指すには、第一関門の「1次予選」に出るために「JGA公認ハンデ6・4以内」という条件があった。また、道筋も「各地区オープンから」「各地区アマから」と複数のルートがあったが、今後はピラミッド型となり、「ドリーム―」「地区予選」「最終予選」と一本化される見通し。今後、女子オープンやシニアオープンも同様の方式となる。

 ◆戸張 捷(とばり・しょう)1945年10月19日、東京都生まれ。69歳。68年、慶応大学商学部を卒業、住友ゴム工業入社。73年、ダンロップスポーツエンタープライズ設立と同時に出向。フジサンケイクラシック、サントリーオープン、ワールドレディスなど、数多くのゴルフトーナメント設立に関わる。また、JGA常務理事を務めながら、3大オープンのチーフトーナメントディレクターとして、日本オープン、日本女子オープン、日本シニアオープンのコースセッティングなどにも携わっている。他に日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員など。ホームコースは我孫子。

 

松井 功(まつい・いさお)
1941年11月2日、神戸市生まれ。72歳。富士ゼロックス専属。用具契約はキャロウェイ。18歳で林由郎プロに師事し、66年プロテストにトップ合格。翌年、プロデビュー。主な戦歴は72年静岡オープン2位、79年全日空札幌オープン4位、80年ミズノゴルフトーナメント6位など。91年よりシニアツアーに参戦。2002年、日本プロゴルフ協会理事就任、広報委員長を経て、05年会長に就任。2期務めた後、13年から相談役。一般財団法人日本プロゴルフ殿堂理事長、NPO法人日本ジュニアゴルファー育成協議会(JGC)理事長、阿山カンツリー倶楽部理事長。烏山城カントリークラブ会長。

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