驚異のエージシューター田中菊雄の世界194 武藤一彦のコラム-充実のエージシューターへ


 エージシュートは7月31日、1412回の大台に達した。春、2024年3月3日、89歳の誕生日には1302回だったエージシュートは、半年にも満たないわずか5か月の短期間で実に110回を数えた。われらがエージシューターは、また新たな驚異の世界へ歩み出した、と声を大にしたい。そう、5か月間でエージシュートは110回のハイペース。月間22回の量産である。われらが名人は89歳にして新たな成長期に入ったのである。

 

 1935年3月3日生まれ、89歳の第1号は、春、3月4日、ホームコースのよみうりGCをインから回り、42,45の87。通算回数は1303回に乗せて見事。以来、勢いに乗ってエージシュートは4月に23回、5月19回、6月22回、さらに7月も22回と月間平均20回を越えるハイペース、5か月で計88回を達成した。

 

 圧巻だったのは7月。31日間、ついに1日も休まず、ぶっ続けでラウンドした。こんな具合。7月1日、自ら立ち上げた日本エージシュート・チャレンジ協会大会(東京・桜ケ丘CC)、参加60人中、ただ一人42,46の88でエージシュート、通算1390回。以後31日まで休むことなくエージシュートにまい進。面白いように成功した。以来、波に乗る。7月2日、得意コースのよみうりGCで9連続、さらに11日には同コースで44,45の年齢と同じ89、1400回目の快挙である。

 

 直後の13日、恒例の北海道・釧路カントリークラブへ一週間の遠征だ。遠征?これには説明がいるだろう。
 2013年にさかのぼる。田中さんは旅行会社企画のゴルフツアーで初めて釧路を訪れ、以来12年、交流を続けている。14年、そのツアーの2年目のラウンドで田中さんは見事、エージシュートを達成した。コースは快挙に沸いた。満79歳で80のスコアだったので田中さんは辞退したが、年齢を「数え」(かぞえ)で認める世界、そのキャリアの中で田中さんも7回ほど数えがある。1963年開場の釧路CCにとっては外来者初の快挙に沸いた。エージシュート達成者は初めて。地元新聞には初のエージシューター、田中さんの快挙と報じた。以来夏の釧路遠征は恒例。メンバーたちとの1週間にわたる交流の中、そのエージシュートは12回。いまや田中さんは“釧路の星”、スターゴルファーである。

 

 今年も7月13日から滞在6日間で6ラウンド。エージシュートは18日の最終日に出た。45,44,89、通算1402回目達成に釧路は沸いた。
 気を良くした田中さんは、帰京した翌19日、よみうりGCを83で1403回目、以後、7月31日までの13日間で9回のエージシュート。達成回数を1412回に乗せた。驚くべきことに7月はついに31日間、連続のラウンドである。気が付けば、31日間、ぶっ続け、1日も休まずのラウンド。その間エージシュートは22回。通算回数は1412回に達した。

 

 今年で19年に及ぶエージシュート人生はここにきて最高の出足をアピールして見事だ。3、4月は過去の月別回数を上回る新記録。5月は19回とペースが落ちかけたが、6,7月は連続して22回と月間記録を立て直した。田中さんをあおる気は毛頭ないが、さる日、「心技体、出そろっていま絶好調ですね。8月からのゴルフが楽しみですか」と質問すると「今年は年間エージシュート250回が出来るといいとやっている」と返ってきた。年間達成記録の過去最高は86歳時の年間246回である。89歳の今年はその記録を250回に伸ばしたいのだという。89歳に自信が芽生えた。きっと達成するに違いない。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。89歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。