エージシューター田中菊雄さんの名声を聞き「ぜひ一回、お手合わせをお願いしたい」と山梨の田中恒(ひさし)さんから連絡があったのは、桜のころだった。同じゴルファー同志、名前は同じ田中。話はすぐまとまり5月23日、東京よみうりCCで初ラウンドを行った。当日、東京よみうりCCは曇り、雨。結果を先に記そう。田中菊雄87、田中恒105、同伴競技者の山本幸路プロ72、筆者106。日本ゴルフ界の名匠・井上誠一設計、ゴルフ日本シリーズの舞台は高速グリーンもあいまってアマにはあくまで手ごわく、エージシューターの菊雄さんはエージシュートに4打およばず、エージシュート予備軍の2人は、“100たたきの拷問”を受けることとあいなったのであった。
山梨・甲府市で不動産業会社を経営する田中恒さんは78歳。ゴルフをはじめたのは45歳と遅かったが、上達著しく地元のパブリックコースの70歳以上の大会でこの春に39,43の82で優勝する腕前。「80歳になったらエージシューターをめざそう」と考えているとき、菊雄さんのことを知り、「ぜひいろいろとご教授願いたい」―根が積極的な人なのだろう、レッスンを受ける山本幸路プロを伴い、初ラウンドとなった。それだけにこの日の大たたきのショックは大きかった。
「ゴルフ仲間はお前ならすぐエージシュートをやれる、といわれその気できたが、鼻っ柱を折られた。100をはるかに越えてエージシュートもないものだと反省している」と苦笑した。「あと2年で80歳。80歳代になるとエージシュートは出やすいといわれているし、自分の中でも80になってからの生き甲斐を、と思っていたが、今日の田中菊雄さんのゴルフの内容でも成功しないのだから、私の腕前ではとても無理であることは明白。考えが甘かったことを肝に銘じました」と反省しきりだった。
そんな恒さんに菊雄さんは「70歳代で出なかったら80歳でも出ませんよ。いや私ができたから言うのではなく、70代から目指したから今の私があるといいたい。今日からスタートなんです。めげずに頑張りましょう」と慰め、励ますのだった。
同伴競技者の山本プロは43歳。北海道出身のトーナメントプロ。2007年の関西オープン(加古川GC)優勝。現在はプロのコーチ、ジュニア育成のかたわら日本テレビ系の日テレジータスの人気番組「舞の海、ドーパミンゴルフ」の先生を務める。プロの目はこう見た。
「田中菊雄さんのゴルフは正直、感心した。球をまっすぐ飛ばす技術。ボールのとらえ方。パットのうまさ。戦略。エージシュートをするためのすべてがそろっている。300回近いエージシュートを達成して当然だ」と認めた。一方、恒さんに関しては「良いゴルフをしようと頑張りすぎた。100パーセントを求めて力んでいた。ゴルフは80パーセントでやるスポーツ。ナイスショットよりいかにミスをなくすか、カバーするかです。今回は完璧を求めすぎて失敗しただけ。飛距離はでるし78歳の年齢を感じさせない。今後に期待を持てます」さすがトーナメントプロ出身だ。“78歳の力み過ぎ”を鋭く指摘した。
83歳の田中菊雄さん。5月27日現在、エージシュート295回。着々とその記録を更新中である。この1か月半は記述のとおりクラブ対抗の東京よみうりCCの一員として私事であるエージシュートには身が入らなかったが、対抗戦は21日に終了、6月からはエージシュートに向けエンジン全開に入る。実はがんばらなければならないことが目白押しである。6月に立ち上げた一般社団法人「日本エイジシュート・チャレンジ協会」がいよいよ活動を開始する。会長としてその先頭に立ってゴルフの振興発展を目指さねばならない。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。83歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。