驚異のエージシューター田中菊雄の世界191 武藤一彦のコラム


 89才、絶好調だ!2024年5月7日、ゴールデンウイークを過ぎ、エージシュートは通算1355回に達した。
 1月にさかのぼる。当時88才の田中さんはエージシュートを1月に3回、2月は6回達成する。2月19日、よみうりGCで通算1300回の大台に乗せる節目も刻み順調な歩みだ。過去、月間20回越えは2020年の25回、2021年26回、2023年の27回を筆頭に3回もある。前年12月には入院、加療でエージシュート達成はゼロまで落ち込んだが、したたかに蘇生するのだった。

 

 2024年3月3日、89才の誕生日を迎えた。3月は特別な月である。1935(昭和10)年3月3日生まれ、88歳は、誕生日の2日前の3月1日、よみうりGCを86で回り通算1302回目のエージシュートを達成した。そして89才の誕生日。エージシューター競技のシーズンスタートを迎えるのである。3月は田中さんのとって特別な月というのはここに理由がある。年齢と同じか、それ以下のスコアで回るエージシュート競技である。誕生日をもって年齢が増えれば、エージシュートは出やすくなる。3月3日をもって88歳時より1打多くたたいてもエージシュート達成となる恩恵は、その意味では大きな意味を持つ。だが、現実は厳しい。年をとれば体力は低下する。「元気で長生きは現代のテーマ」などと健康志向を叫ぶが、そう簡単にはいかないのだ。
 迎えた89歳の誕生日、東京よみうりCCの研修会でバックティーから回って47,45の92、エージシューターに3打及ばなかった。コースは男子プロの年間王者を決める日本ツアー最終戦「ゴルフ日本シリーズ」の舞台だ。
 研修会はクラブ対抗の代表兼を争うクラブの公式戦。最高齢89才に現実は厳しかった。だが、この後が田中さんの真骨頂だ。これまでも自己を叱咤、激励、難しい状況を意識しながらエージシュートに挑んだ。
 「慣れたコースでゴルフを毎日やればエージシュートも出るのが当たり前だよ」周辺からはそんな声も聞こえてくると、厳しい環境をあえて自らに課す田中さんである。このあたりの意地というか、こだわりが支えだ。4日、よみうりGC。42,45の87、89才はエージシュートに2アンダー、87、89歳で第1号をゲットした。5日86、6日84、7日86、8日は休み、9日、10日、東京よみうりを81、79と1週間前の敵討ち。以後19日まで11日連続でエージシュート、通算回数を1317回。さらに、22日以降31日までの間に8回を加え3月は30日間プレー、うち24回のエージシュートを達成した。89才で第1号となるエージシュートを同コースで、エージシュートに2アンダーとなる87で飾ると、以来、7日まで4連続、1日休みをはさんで9日からは、実に11日間連続の猛攻で、エージシュートは通算1317回。
 さらに22日から31日までの10日間で8ラウンドを行い、エージシュートは5日連続を含む8ラウンドがプラスされた。3月いっぱい31日間でエージシュートは24回を記録した。この間、ラウンド数は30ラウンド。3月は31日まである“フルカレンダー”。休みは病院に行った定期診断の1日だけ、雨が強く途中プレーを中止したのが1回だけのフル稼働、驚異的なタフさにはただ驚くばかりの迫力であった。

 

 この月、筆者は2回、一緒にプレーした。28日はよみうりGCを2人だけで回った。強風の中、名人は45,43の88、通算1323回目を力みなくさらりとエージシュートした。―どうしてそんなに、いつも安定してエージシュートが出るのですか、と聞くと「ゴルフはボギープレーならできるとやっている。ワンラウンドでパーが2、3個取れればいいとやっている」。「バーディーなんかいらないのです。3月に89歳。余裕のあるゴルフができると思うとすべてがプラスに働く。たゆまぬ努力をしているから、したたかにできている。年だからもうだめだなどと考えずエージシュートをするんだと努力する」「ゴルフって大体やり方です。元気で長生きが目標。若いのにスコアが出ないのはやり方がわるい、エージシュートなんか、できないと言い訳するがやってごらんなさい、努力と勇気だ。ゴルフやるならその覚悟を持ちなさい」―
 「でも..」と言いかけると「じっとしてると人間、動けなくなる。86才のときそのことに気が付いた。以来、毎日1万5000歩を歩く。キャディーさんは1日3万歩だ。楽するとつらいのが嫌になる。毎日の積み重ねが生活の内容を濃くしてくれます」―毎日の積み重ねを「ゴルフ生活」と置き換えると名人の内容の濃いゴルフ生活が見えてくる。「エージシュート?ゴルフって大体やり方だ。人生も同じ、元気で長生きが目標とやれば人生のエージシューターを目指せと言われたように受け止めた。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。89歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。