驚異のエージシューター田中菊雄の世界198 武藤一彦のコラム


 エージシュートは誕生日から誕生日までをひとシーズンとして自分の年齢と同じか、それ以下のスコアで回ることを目指すユニークな競技である。1935年3月3日生まれの田中さんは、今年、2025年の春、めでたく90歳の誕生日を迎え、エージシュートは89歳時、年間227回は、86歳時の年間最多246回に次ぐエージシュート人生で2番目のとなる好調なシーズンであった。90歳シーズンにかける意気込みは押して知るべし、今季は楽しみである。

 

 2025年3月3日、90歳の誕生日。田中さんは午前8時、ホームコースの東京・多摩丘陵のよみうりGCを、雨を押してラウンドした。同伴競技者は田中さんが、コーチと仰ぐ女子プロの浪崎由里子さん、その夫の忠さん、もう一人は秘書の加藤玲子さん。その顔ぶれに田中さんの意気込みがあらわれて特別な日である。田中さん、90歳初のエージシュート挑戦、大事な一日であった。
 しかし、ラウンドは、14番グリーンに水が浮き、サスペンデッド、ついにホールアウトできなかった。田中さんは前半48、インに挽回を期したが、悪天候に阻まれた。ゴルフは自然相手のスポーツ。こんなことは常につきまとう。

 

 雨の中、クラブハウスに帰り、すぐ風呂に入り着替えてクラブハウス内を見ると閑散として静かだ。みんなどうしたのだろう?スタッフに聞いて驚いた。「今日、スタートされたのは田中さまの組だけでした。他のお客様はみなプレーせず、お帰りになりました」という。が、田中さん、それですべてを理解し愕然とした。「じゃあ、風呂は沸いていたし食堂も営業、フロントも業務をしていたのは、わたくしたち一組のためだけにしてくれていたわけだ。悪天候、本来なら営業停止をするところだが、私のためにオープンしてくれていたわけだ」と感激すると「ありがとう」、「どうもありがとうございます」と周辺に挨拶するのだった。

 

 自分たちひと組のためにゴルフ場は営業してくれた。食品会社など5社をまとめるグループの自社関連の5社まとめ田中会長である。よみうりGCの営業を度外視して大赤字を覚悟、自らの行動を許した、その英断に感謝した。田中さんはその日、結果的にコースを借り切りで独占使用したのだ。前代未聞のことに絶句し、感激に目を潤ませるのだった。
 クラブハウスの様子は一切、知らぬままプレーに没頭していたのだった。「私はスタートしてしまってわからなかった。コースに無理をさせたようだ」田中さん、支配人以下、従業員一同に深々と頭を下げ、気配りに感謝した。「私のためにご配慮いただいた。本当にありがとう」と腰を深く折り、心からの感謝をコース従業員に送るのだった。

 

 そのことには“解説”が必要だろう。連日120人余のゴルファーが回るコースである。たったひと組のために営業することはあり得ないのが常識である。そんなときコースは、休業するのが常識。だが、コースは、それをしなかった。田中さんはそのことを言うのである「私ごときが、エージシュートにこだわるのを良しとしてコースはバックアップしてくれた。有難いことです。本当にありがとう」と感謝したのだった。

 

 その翌3月4日、同コースを再挑戦すると45,44の89、通算1530回、90才歳、初エージシュートが出た。笑顔は明るかった。
 ツボを心得、勝負所は逃さない。そんなタフさ、きめの細かさが身についてエージシューターは極めてタフ。即ち今や最強のエージシューターに成長した、とここで断言する次第である。
 生涯通算回数は3月30日現在1545回と順調である。「三男の雄三がね、50度と60度の良いウエッジをプレゼントしてくれた、これが素晴らしく良いのです。狙ったラインが出て、ピタピタとよく止まる」と満足だ。絶好調と見えた。前向きに取り組み、あきらめず粘っていれば結果はついて来る。常に前向き、エージシュートと真摯につきあう姿に好感が持てた。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。90歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。