驚異のエージシューター田中菊雄の世界2 武藤一彦のコラム


 田中さんの存在をはじめて知ったのは2016年、梅雨入り前の6月9日、東京・稲城市のよみうりゴルフクラブだった。午後4時過ぎ友人たちとのプレーを終えクラブハウス2階ラウンジに上がると壁いっぱいに「田中菊雄エージシュート100回記念コンペ」の横断幕。昼食の時にはいつもの食事風景だったから食堂は急きょ、衣替えしてパーティー会場をしつらえたのだろう。パーティーはすでにお開きになって参加者が三々五々、帰宅し始めていた。

 

 「エージシュート、100回!?」

 

 衝撃的な光景だった。「生涯で一回あるかないかの快挙を100回も!」―信じられない思いで何回も横断幕の100という数字を眺めた。そばを通りかかった同クラブの梅渓(うめたに)さんに驚きを伝えると「それならご紹介しましょう」と田中さんを紹介された。田中さんは聞けば81歳。が、60代と言われても信じてしまうような、顔色つやつや、白い歯に満面笑み、背中シャン。元気のオーラが満ち溢れていた。

 

 お話を聞くと100回を達成したのはその年の正月、1月6日の同コース。パーティーは家族、友人、仕事仲間、ゴルフ仲間、101人が参加した。「プロゴルファー猿」の作者、漫画家の安孫子素雄さんの名前もあった。パーティーは偉業達成の半年後に開かれたわけだが、その間にもエージシュートは増え続けパーティー当日には22回も増え122回という、驚きの事実もそのときわかった。

 

 「看板、いや横断幕に偽りありですね」と笑いあった。

 

 そんな出会いからじっくりお話を伺ったのが、7月末。もうそのころにはエージシュートは130回を超え「どういう人なんだこの人は」と驚くばかり話を聞くほどに魅入られていく。根ほり葉ほりの取材は後にしてとにかくラウンドを、と、そこはゴルファー同士、8月末の初ラウンドとなったのだった。

 

8番のエージシュート記念植樹前で(左から3人目が)田中さん(右端が)武藤記者

8番のエージシュート記念植樹前で(左から3人目が)田中さん(右端が)武藤記者

 前置きはここまで、その初ラウンドは8月25日に行った。コースはよみうりGC。結論を先にいう。田中さんは4オーバー76、エージシュートに5アンダー。さらりと回って見せた。スタートして4ホールで4オーバーと大きく出遅れたが、ものともせず残る14ホールをパープレーにまとめた。ゴルファーに対していう言葉としていうふさわしくないが、この人は、とんでもない人だ、と思った。ホールアウト後、「田中さん、あなたはとんでもない人ですね」と思わず言って、言葉の使い方を間違えたことに気づいた。

 

 トンデモナイ、は飛ばないにつながるのだ。田中さんは250ヤードのドライバーショットを随所に見せていた。「飛んでもないドライバーの飛距離で76」とひっかけた駄じゃれはこの際、全く見当はずれだったのだ。

 

 球は飛ぶしショットは正確。その上、寄せ、パットのしぶとさと来たらうなるばかりのうまさだった。とんでもないゴルファーに唖然とした1日となった。

 

 次回は驚きのラウンドの詳細をお届けする。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。81歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。