驚異のエージシューター田中菊雄の世界15 武藤一彦のコラム─飛ばし屋の田中さんはエージシュートを目指し自らを替えた。何がエージシューターを生む結果となったのか


  田中さんはめったに練習場に行かない。その代わりというと変だが、ラウンドは月に15回くらい、年間180ラウンド余りをこなす。こんな考え方だ。

 

きょうも記録に挑戦する田中さん

きょうも記録に挑戦する田中さん

 「若いころは飛ばすのが生きがい。練習場のレンジで1日、500発、という猛練習が日常だった。だが、70歳を過ぎて考えが変わった。ラウンドでフルショットするのはドライバーとグリーン狙いのアイアンのせいぜい30発。あとはアプローチとパットだけ。そのために練習場で300球も400球も打つことはないと」「そこで、コースを練習場と決めた。以来、練習場はめったに行きません。練習はコースのラウンド。ショットに目的意識を持ち、ここは曲げない練習、このアイアンショットは絶対手前にオン、とやると新しい世界が見えて来る」ラウンドは誰でも好スコアを出したい。そこで必死でピンを目指しスリーパットにおびえながらの格闘技。アマのラウンドは余裕というものがない。

 

 

 だが、田中さん、ラウンドを練習の一環と位置付けて斬新。全然、別の面が見えて注目だ。

 

 「コースではすべてが初体験。練習場のようにいつも左かかと前の球を打つことはできない。状況によって球の位置を中に入れたり、遠くに出したり、風があれば低く、木が前にあれば高い球で越さねばならない。だから練習場」というわけだ。これが分かるとエージシューター田中流のエッセンスが見えてくる。

 

 35歳で初めてゴルフを知った。60歳過ぎまでひたすら飛ばし屋を目指した。ハンデ5になりクラブ対抗の代表になった。だが、パワーに陰りが出た。若いものに置いて行かれ、長いパー4で2オンできなくなったとき、どうしても届かないパー4のホールを前に田中さんはこんな結論を引き出していた。

 

 「このホールは長いから難しいとか、絶望的だとかは別問題。パー4はパー4だ。ここは4で上がれと言われているのだからどうしたら4で上がれるか。その答えを出せ。さあどうする。そこで自問した結果、3オンの1パットでいけばいいんだ。なんだそうなんだと気が付いた。私はゴルフの概念を間違って植え付けかけていた。そう気が付き、本当に良かった、あの時、あきらめてしまったらエージシューターにはなれなかった。曲がり角だった」

 

 若い時のように練習してコースへ、ということは無理。あちこち痛いと肝心のスコアが出ないのなら自分に合った基準を作るしかない。コースを練習場と決めた田中さんのエージシュートへのスタートだった。

 

 81歳の田中さん。その体力には驚かされる。週5回のゴルフ、と簡単に言うが、1日のラウンドでへたばっている人が多いのは誰もが知るところだ。

 

 71歳で初めて達成したエージシュートは2016年も押し迫った12月19日現在、175回に達した。80歳で50回だった年間記録は81歳の今年、来年3月3日、82歳の誕生日まであと2か月半を残し70回に達している。年間記録の更新は驚異的な新記録へと向かっている。田中ワールドは佳境に入った。次回からエージシューター田中語録から「ゴルフを難しく考えない方法」を伝授する。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。81歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。