驚異のエージシューター田中菊雄の世界34 武藤一彦のコラム─最終ホールをイーグルでエージシュートを達成した79歳、木更津GC、生涯45回目、驚きの快挙


 千葉・木更津GCにはいい思い出がいっぱいある。中でも忘れられないのは田中さん、79歳の夏のエージシュートだ。この夏、同コースのメンバーになると初めて出た月例競技でいきなり79のエージシュートを達成した。同コース初の快挙だった。

 

力感あふれるパッティングフォーム

力感あふれるパッティングフォーム

 エージシュートを初めて達成したのが静岡・富士国際を71歳で70。77歳までに4コースで計10回を数えた。それが満78歳になると15回、79歳では28回と3倍近くに増えた。

 

 年齢を重ねるに従いロースコアは少なくなるが、自分の年齢と同じスコア、77、78は、このあたりを境にしてどんどん回数が増えた。加齢で衰える体力を、経験が補いそれなりの技術、そして一番大事な気力が整えば、“若いもの”に負けずにやっていける年齢なのだ。この傾向は80歳代の後半まで続くのがエージシュートの世界の常識になりつつある。

 

 さて木更津GCでの初エージシュートだ。アウトを41とまずまずのスコア。しかし、インを30台、それも38をマークしなければエージシュートにならない状況だった。が、大詰め近く、16番をボギーとし通算9オーバーとなり田中さん、「今日は無理かな?」はあきらめムード。残り2ホールをバーディー、バーディーでも1打足りない。ところが、いよいよダメかと思われた直後の17番パー3でバーディーが出た。

 

 奇跡の始まりだった。最終18番パー5は同コースの名物ホール。やや、打ち下ろしの右90度のドッグレッグホールだ。曲がりの内側は深くえぐれた谷、大きな木が群生する。グリーンははるか右前方にあるが見えない。曲がり角には大きな杉が数本立ちはだかりショートカットを阻むような、誘うような、ともかく威圧的なたたずまい。

 

 ここを田中さんは迷わずにショートカットした。球は杉の木の上を抜けグリーンまで70ヤード地点。そしてその3打目をサンドウエッジで打つと、ものの見事にほうり込んだのだ。

 

 「ピンはエッジから8ヤード入ったところにあった。サンドウエッジで球を中に入れてコントロールするとカランコロンと音がして入った。イーグルですよ」その時のことを話すと興奮がよみがえる。「アウト41、イン37、トータル79のエージシュートです。ティーショットでショートカットを成功させれば2オンの可能性があった。コーナーの大きな林を越えなければならずリスクはあったが、迷わずいった。はい、頭の中にはイーグルという意識があった。攻めた。ここは勝負といった」。いつまでも興奮が止まらなかった。

 

 田中さんにとってこの経験は「最後まであきらめないことの大切さを知る、いいきっかけだった」という。「ゴルフは運もある。不運もある。入らないようなパットが飛び込んだかと思うと50センチのパットが1センチ、1ミリの狂いで入らない。それがゴルフだ。そのことを知った上でやらなくてはいけないこと、それは運を信じて自分に引き寄せることだ。強運を引き寄せる人を実力者というが、不運に行きがちなゴルフだからこそ不運に打ち勝つことが求められるのです。以来、私は経験、体験したことこそがゴルフの真髄であると自分に暗示をかける。自分で自分を作り上げていくのです」。

 

 60歳を過ぎ「パー4は何も2回でピンそばに寄せる必要はない。そんなものは大男のプロがやればいいこと。3オン1パットでも4は4」と開き直った田中さん。だが、木更津は、好機を見過ごして幸運を見逃せとはいっていなかった。勝負所は勝負する気概は常に持ち続けろ。田中さんをある意味覚醒させたのだ。

 

 こんな後日談を紹介する。木更津GCのクラブハウス内の談話室の壁にはクラブチャンピオンなど公式戦の記録が掲示されている。その中に田中さんのエージシュート11回が刻まれた記録ボードがさん然と輝きを放ってある。難コースも旺盛な闘将の前にたじたじとなっているようで、ほほえましい。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。82歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。