驚異のエージシューター田中菊雄の世界59 武藤一彦のコラム─「お前は七福神の布袋さんだよ。人のために幸せをたくさん届ける人になるのだよ」と郷里の母親はいった。エージシューター田中さんを支える人びと


 田中さんは1935(昭和10)年3月3日、島根県松江市御津生まれ、家業は代々漁師の7人兄弟、男6人、女1人の5番目だ。実はこの7人兄弟、面白い偶然と一致した。福徳の神、七福神と構成が同じなのだ。

七福神、右から2番目が布袋さん

七福神、右から2番目が布袋さん

 

 大黒天,蛭子(えびす)、毘沙門天 弁財天、福禄寿、布袋(ほてい)、寿老人。7神は宝船に乗って福を運ぶめでたい神様で七福神詣でなど信仰の対象となって古くから親しまれる。

 

 田中さんはもの心ついた頃、母親から「あなたは男の5番目だからほていさん。大きな袋から幸せを出して配って歩く、そんな人にならんといかんよ」と言われて育った。

 

 「3番目の兄なんかひげは濃く、手足は毛むくじゃらで  毘沙門天にそっくりだった。すぐ上の姉は7人中、唯一の女女兄弟、私にとってはすぐ上の姉。弁天様と呼ばれた。私が22歳で東京に出たとき、東京に嫁いでいた姉のところに転がり込んだ。それが私の第2のスタートだった」という。運送業をきっかけに田中さんは食品、不動産、レストラン経営と現在の北山グループ、400人の総帥となった。

 

 弁天様は布袋の世話をやき、布袋さんの袋に福をたくさん詰め込むのを助けた。いま、田中さんはエージシュートという夢を袋から出してゴルファーの夢を育む。田中さんは布袋さんが担ぐ袋をゴルフバッグに変えいまエージシュートという夢物語を生み出しゴルファーを驚かせ続けている。母親の見立ては、まさにぴったりだったのだ。

 

 このあたりを振り返ると運命を感じるという。
 「一生に一度やるか、どうかのエージシュートが10度,20度と出たのが私にとってのきっかけ。80歳には120回を越え、このときやれるだけやってみようと思った。ある経済誌に“世の中は強い人、偉い人が生き残るのではない。その時代に合わせ自分を変えていける人が生き残る”とあったが、仕事もゴルフも一生の大仕事と決め、やっていこうときめました。中でもゴルフは、自分のルールをしっかりと決め,真正面から行こうとそうです、ゴルフはノータッチ、完全ホールアウトと決めたのです。そして、年齢をハンデと決めてスコアにこだわった。おかげで自分なりに時代に合わせて生きることができた。ゴルフにこだわり生き方を律した。おかげで健康で生きがいとなった。その証拠にゴルフが日増しにうまくなっています。ゴルフを追求し始めたらエージシュートが日常になっ手嶋多一どんどん出るのです」

 

 布袋さんの袋から飛び出したエージシュートの数は2017年6月27日現在、211回に達した。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。82歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。