驚異のエージシューター田中菊雄の世界83 武藤一彦のコラム


 東京よみうりカントリークラブの倶楽部対抗戦の代表チーム入りした田中さんの毎日はめまぐるしいほど忙しい。毎日曜日と祭日は選手団としての練習ラウンド。その合間を縫って第1の関門である東京大会開催の桜ケ丘CCでの任意の練習ラウンドが4日間もある。大会は5月21日に同コースで行われ、上位2チームが6月の全国大会に出場する。東京地区には15チームが出場予定だが、たった2チーム、狭き門だ。
 クラブの代表となったことで自分の時間はすべてそちらに向けられる。そう、オリンピックの代表選手が国の威信をかけて懸命に頑張るのと同じだ。フォア・ザ・チーム(チームのために)。コースの威信をかけた戦い。倶楽部対抗とはそういう大会なのだ。

 

 田中さんは充実している。3月3日に83歳の誕生日を迎えてから4月16日現在、エージシュートは10回を数えた。83歳になってから10回。通算では278回だ。ゴルフは自然との闘い、今年の冬ゴルフは例年になく厳しかったが、10回もエージシュートを達成するところが、田中さんのすごいところだ。

 

 今回はそんな田中さんの努力が報われなかった話だ。
 4月16日、千葉・立野クラシックGCの「関東グランドシニア選手権」予選(18ホールストロークプレー)に出場した。結果は39、41の80でホールアウト、予選突破ラインに達して決勝ラウンド進出は見えていた。しかし、決勝ラウンド進出枠28人には惜しくも及ばなかった。80の同スコアに多数がひしめき、カウントバックで及ばず、残念ながら予選落ちした。大会は70歳以上、JGAハンデ17.9まで。田中さんは72歳の時、予選を突破、大会最年長出場者として表彰された。83歳の今回、通っていれば自己の最年長出場記録を大幅に更新するところだった。しかし、80のスコアはエージシュートだった。

 

 結果は伴わなかったが、ゴルファー田中の生きざまをかいまみせた挑戦だった。若いころは競技ゴルフ。しかし、年齢とともに若い者との差がつくのは仕方がない。70歳を過ぎた田中さんが選んだのはエージシュートだったことはこれまで記述したとおり。そのゴルフを支えるのは面白がりと高い目標を持った挑戦だったのだ。

 

 トシ相応という言葉があるが、年齢をわきまえ、現実を受け止め、次々と冒険する姿には感動がある。関東グランドシニア選手権は田中さんの生きざまをはっきりと見せて迫力があった。「冒険しない人は仕事でもゴルフでも成功しない。向上心、好奇心はどちらも人生を面白くも無味乾燥にもする境目にあるという点で同じ。冒険することは大事です」―若いころは競技ゴルフ。しかし、年齢とともに若い者との差がつくのは仕方がない。70歳を過ぎた田中さんが選んだのはエージシュートだったことはこれまで記述したとおり。そのゴルフを支えるのは高い目標と面白がり。それを冒険と言い切ってにやりと笑っている。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。83歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。