驚異のエージシューター田中菊雄の世界106 武藤一彦のコラムー医師との付き合い方


 元気な田中さんと18年の夏、2泊3日のゴルフの旅をご一緒した。お盆の真っただ中の東北旅行、宿泊事情は厳しく、2昼夜を2ベッドルームで過ごす密着生活。その時、感心したのは体を大事にする積極的な姿勢であった。

 

 温泉の大風呂があるホテルで田中さん、最低2回は入浴するが、驚いたのは自室のバスタブでも毎朝、必ずお湯を張り足湯を欠かさず、夜は就寝前の足湯か、大風呂にはいった。「左足の痛みが持病のようになっているので必ず温めている。マッサージ類はしない。家では自転車こぎで毎日足腰を鍛え風呂は24時間いつでも入れるようになっている。はい、草津の湯を定期的にタンクで取り寄せ、もう10数年になる」。
 この3年余で風邪をひいたとか、体調が悪いといったのを聞いたことがない。だが、清子夫人に聞くと「もうそれは健康には気を使います。腕が、足がといつも大騒ぎ。お医者さんには必ず定期的に診てもらっています」ということだった。そういえば体にいい、サプリメントと聞くと絶対飲む、といっていた。

 

 59歳で大腸がんを20センチも切る、6時間に及ぶ大手術。78歳では白内障、79歳では前立腺と3回の手術をしている。
 大腸がんの手術はあとから見ると運命の転機だった。「検査でボリープが見つかっていたのを3年間ほっておいたらがんが見つかった。あわてて自宅近くの帝京医科大(神奈川県川崎市)の石川泰郎先生に手術を受けた。先生とは地元のすし屋で偶然お会いしてゴルフ仲間。任せておけと、入院は1か月余になったが、その間、毎晩、1日と休まず経過を診ていただいた」。田中さんが元気にエージシュート人生を謳歌していられるのは先生のおかげだ。その後日談。田中さんは、こんな質問を石川医師にぶつけている。“先生が、もし私だったら手術を受けましたか”と聞くと、首を振った。“僕なら手術はしませんでしたね”と言われた。「それくらい微妙な病状とタイミングだったようだ。田中さん、あなたの決断が運命を変えたのです、と言われた」―その後の白内障、前立腺手術も田中さんは、エージシュートのために積極的に受けたという。「元気なうちにお医者さんは決めておけ。人生を前向きに生きるなら自らが前向きにならないといけないと思う。自分のことだ、目の前の課題、将来の見通しも目的があれば自分で決める。僕は運のいい男だと言い切れるのは、そんな経験をしたから言えるのです」

 

 元気な時に医師を決めておく、病院を、と置き換えてもいい。年を取ったら必ずころぶ。転ばぬ先には杖だが、エージシュートには医師、病院である。

 

 大腸がんの手術以来、田中さんは帝京医科大に石川先生のほか各科に信頼する主治医がいる。前立腺の時だった。「手術前、1日でも早く退院したい、とお願いしたら産婦人科の先生が手術に立ち会ってくれた。帝王切開の技術が役立つという配慮だった。おかげで傷口が早く治った」というウソのような本当?の話がある。ゴルフをやりたいばかりに手術後、数日間で腹筋運動を始めたという田中さんは病院では問題児(?)。だが、ゴルフ好きには、だれでもわかる、この気持ちだ。そう、ゴルファーなら1日でも早くコースに出たいと願うのは当然のことだもの。まして入院生活のあとである。

 

 12月16日現在、田中さんのエージシュートは369回を数えた。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。83歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。