【五輪の恵】松山英樹に石川遼に心躍った初マスターズの思い出


第75回マスターズ最終日の18番でガッツポーズする松山英樹(2011年4月10日)

第75回マスターズ最終日の18番でガッツポーズする松山英樹(2011年4月10日)

 初めてというものは、深く記憶に刻まれることが多い。オーガスタナショナルGCに足を踏み入れた日のことを、今でも鮮明に覚えている。緑のじゅうたんと、色とりどりに咲き誇るアゼリアの絶妙なカラーバランス。小鳥のさえずり。春が凝縮されていた。

 マスターズ初取材の2011年は、まさに「初」づくしの大会だった。初出場の松山英樹が1アンダー27位で日本人初のローアマに輝いた。石川遼は3度目の挑戦で初めて決勝ラウンドに進み、3アンダー20位。ピンそばを突き刺した松山の18番の第2打と、石川の2番でのイーグル。華やかだった。心が躍るとはこういうことかと、夢中になって取材した。

 コース周辺のホテル料金は、通常期の10倍にはね上がる。決して居心地がいいとは言いがたい、薄暗いモーテルの一室での深夜の執筆時間。このギャップがたまらない。最終日、疲労はピークに達していた。原稿を出し終え、ベッドに倒れ込んだ。と、デスクからの電話が鳴った。「あのさ、アマチュアでのアンダーパーって、これまでどれくらいいるの? 初出場では初めてかな?」。過去の74大会を調べる作業は朝まで続いた。忘れられないハイライトが一つ増えた瞬間だった。

 アップダウンが足に来た。体はとにかくきつかった。他社の同い年の記者が「頑張らなあかん」と、ユンケル顆粒(かりゅう)を1袋、差し出してくれた。尋常じゃない高揚感と人の優しさを知った1週間を、毎年この時期になると思い出すのだが、今年は少し違った。静かな4月の第2週だった。

 新型コロナウイルス感染拡大を受けて延期になったマスターズは、11月の開催を予定している。1934年に始まって以降、初の秋開催。どんな雰囲気なのだろう。風は冷たいのだろうか。紅葉はきれいなのだろうか。想像を膨らませながら、無事の実施を祈る日々だ。

 ◆高木 恵(たかぎ・めぐみ)北海道・士別市出身。1998年、報知新聞社入社。整理部、ゴルフ担当を経て、2015年から五輪競技を担当。16年リオ五輪、18年平昌五輪を取材。

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