男子ゴルフの松山英樹(24)=LEXUS=が3日(日本時間4日)、治安とジカ熱への懸念などを理由に8月のリオデジャネイロ五輪(男子は11~14日)に出場しない意向を表明した。112年ぶりに五輪に復帰するゴルフは11日の世界ランキングを基に出場選手が決まり、松山は最上位が確実でメダル獲得を期待されていた。男子ではすでに世界ランク1位のジェーソン・デー(28)=オーストラリア=やロリー・マキロイ(27)=英国=ら複数の有力選手が出場辞退を表明していた。
世界選手権シリーズのブリヂストン招待が行われた米オハイオ州アクロンの会場で、通算9オーバーで42位に終わったホールアウト後に、松山が口を開いた。
「やめます。出ません」
トップ選手の辞退が相次いでいたリオ五輪男子ゴルフの不参加を表明した。
「ジカ熱もあるし、自分が虫に刺されたときのアレルギー、反応の仕方がまだ良くなっていない。行って刺されて、腫れてプレーできないというと、もっと良くない。治安の問題もある。いろいろ考えた中で決めた」
松山は虫に弱い。刺されて腫れ上がり、化のうし、ゴルフに影響したことが過去にたびたびあった。熟考の末に「不安を十分に払拭できなかった」という。
「いい選択かどうかは分からないけど、もう時間もない。(日本のゴルフ界のためには)五輪に出るのが一番かもしれないけど、リスクをそこまで背負って行くのは、という感じはある」
決して五輪を軽視しているわけではない。09年8月、国際オリンピック委員会の理事会でゴルフの復帰が決まると、13年7月、プロ転向して3か月の松山は、リオ五輪の強化指定選手の第1号として真っ先に登録した。さらに一番印象に残っている五輪の名場面に「アテネ五輪の体操団体の金メダル。栄光の架け橋!」と即答していたほど。
ただ、五輪は見るものであって、勝負したいと幼心に思わせたのはいつもメジャーの舞台だった。ゴルフを始めた時から、年に4度ある伝統のメジャー大会で優勝することに憧れを抱いてきた。それだけに、ゴルフにとっての五輪の意義を見いだすことは難しく、昨年から「本当に世界一を決める大会なのか」と疑問を呈していた。他のトッププロからも同様の声は上がるなど「(五輪の競技方式が)ストローク戦じゃなくて、チーム戦ならまた違ったのかもしれない」というのは松山の正直な思いだ。
デーやマキロイ、スコットら、トップランカーの辞退続出に疑問は膨らむばかりだった。世界最高峰の米ツアーに身を置き、五輪2週後には賞金1000万ドル(約10億円)をかけたプレーオフシリーズ(米国)がスタートする。メジャーはもちろん、世界一をかけて争う舞台は年に何度もある。「4年に1回、絶対にミスできない状況で戦っている選手と比べて僕たちはどうか。そこまでの情熱をささげられるのか」と吐露したのは2週前。リオで遭遇するであろうリスクを上回る価値を、見いだすことは難しかった。
◆松山 英樹(まつやま・ひでき)1992年2月25日、愛媛・松山市生まれ。24歳。4歳からゴルフを始める。2010年、高知・明徳義塾高から東北福祉大に入学。同年、アジアアマを制し、日本人アマ初のマスターズ切符獲得。翌年、27位でローアマ。三井住友VISA太平洋マスターズでツアー史上3人目のアマV。13年にプロ転向し、賞金王に輝く。14年から米ツアーに本格参戦。日本ツアー6勝、米ツアー2勝。家族は両親と姉、妹。180センチ、83キロ。
◆常に日本を背負い戦う松山は、自分の体を守ることも必要
全米オープン(6月16から19日)の翌週に、松山にインタビューをした。その時すでに、辞退で気持ちは固まりつつあった。ただ、日本のエースとして、メダルを期待される日本のゴルフ界の期待を重々感じていた。この日の辞退表明までに苦悩の日々を費やした。
メジャー大会で日本選手が自分しかいなければ、重圧を感じるという。「予選落ちをして、日本の選手はこんなもんかと思われるのが嫌」。それは米ツアー転戦中、いつも松山の心にあることだ。プロとして自らの生活がかかった世界最高峰の舞台で、松山は毎週のように日本をも背負い戦っている。
米ツアーではシードを失うことだって、あっという間だ。元世界ランク1位のルーク・ドナルドは現在同83位。松山が15位前後を維持していることはすごいこと。「怖いけどね。いつガンと落ちるかわからないから」。そんな厳しい職場に、リスクを持ち込むことは避けたい。五輪に敬意を表する一方で、プロの世界に生きる松山が、自分の体を自分で守ることは至極当然の流れといえる。
(五輪担当・高木 恵)