宮里藍「2012年後半」の葛藤…番記者が振り返る


 宮里藍は会見で、モチベーションの維持が難しくなった時期は「2012年の後半」と明かした。10年に5勝して世界ランク1位にまで上り詰めた。09年から4年連続で勝利を重ね、ゴルファーとしての絶頂期に意識した引退。当時の葛藤を高木恵記者がリポートする。

 藍が初めて引退を意識したのは、ゴルファーとして絶頂期を迎えていた12年だったという。驚いた。同時に「藍らしいな」と納得もできる。ひたむきな性格と、メジャーへのこだわりが、以前から際立って見えたからだ。

 会見では「プロゴルファーとしてピークを迎えている感覚があって、それなのにメジャータイトルが取れないというところで葛藤があった」と打ち明けた。今勝てなくて、いつ勝てる―。このまま勝てないのか―。何をすべきか分からず混乱した。「自分自身を見失った。どこにモチベーションを置いて立て直したらいいのか」。迷いは消えず、昨夏の決断に至った。

 メジャーは06~12年の27大会でトップ10は10回。09年全英リコー女子オープンは、最終日に首位に並びながら3位。5勝を飾った10年、世界ランク1位で迎えた全米女子プロは初日97位とつまずき3位に終わった。11年の全米女子プロは予選落ち。クラブハウスから出てきた藍の目は真っ赤だった。

 09年の米ツアー初勝利後「メジャータイトルは喉から手が出るほど欲しい」と口にするようになった。海を渡ったのは「全米女子オープンを勝つ」という中学生の頃からの夢をかなえるため。12年は珍しく「目標はメジャーチャンピオンになること」と明言した。4年連続勝利となる2勝を挙げた円熟のシーズン。再び思いは砕かれた。

 その頃を境に、海外メジャーはコースの距離が延び、ロングヒッターが有利なセッティングの傾向になっていった。これも不利に働いた。12年の全英リコー女子オープン後、メンタルコーチに漏らした。「次、何を目標にしたらいいのか」。前だけを見て戦ってきた藍の気持ちにブレーキがかかった。笑顔の裏で人知れず悩み抜いた4年間だった。

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