【藍のメモリー】(2)「どんなスコアでも60台の振る舞い」…ブリヂストン・中原氏が語る


米ツアー会場で、宮里と笑顔を見せるブリヂストンスポーツの中原創一郎氏(ブリヂストンスポーツ提供)

 06年の米ツアー参戦当時は、憧れのアニカ・ソレンスタムやロレーナ・オチョア(メキシコ)がいて、藍プロはものすごく楽しんでいた。自分も少しでも上に行きたい、と高い志を持って前向きに日々取り組んでいた印象が強い。

 11年から3年間、私も帯同して米国を転戦した。いろいろと大変でした。日本で当たり前のことが米国では当たり前じゃない。宅配便が来ない、電気もすぐに直らないとか。藍プロも同じ苦労をされた話をその時に聞いた。割り切る大切さを教えてくれ、自分だけ、という感覚にならないように優しく諭してくれた。

 ネガティブな言葉はほぼ口にしない。試合でスコアが崩れて、ラウンド後どんな言葉を掛けようか、迷っていても藍プロはまるで60台で回ってきたかのような振る舞いで。スコアが65でも80でも変わらない。会場を離れれば「はい、ご飯行きましょう」。いろんな選手を見てきたけど、あれだけ前向きなのは藍プロだけ。一体どうやって気持ちを整理しているのか。サポートしてきた立場なのにいつも勇気やまた頑張ろう、というやる気をもらっていた。

 だからこそ、米ツアーでも屈指の人格者として評価され、愛された。プロアマ戦はほぼ毎週、主催者や重要人物の組で回り、どこの国のお客さんともしっかりと会話もプレーもしていた。12年末には選手間投票で決まる、模範的な選手に贈られる「ウィリアム&モージー・パウエル賞」を日本人で初受賞した。これは本当にすごいことだと思う。

 日米24勝のうち6勝に立ち会えた。一番思い出深いのは、大会2勝目を挙げた11年のエビアン選手権。例年、グリーンが硬くて大変なのにあの時は雨が多く降って軟らかくなって。3日目、4日目は厳しいピン位置でも、2打目以降が長い番手のクラブでもしっかり球を止めることができた。一生懸命やることを全てやった上で、天も味方につけて全部の流れがかみ合っての優勝に見えた。

 エビアンは最終戦にふさわしい舞台だと思う。8月の全英リコー女子オープン後、藍プロは「どこかで優勝したい気持ちが強い」と言っていた。精神的にすごく強い人。何十年に一人の選手と巡り合えて、担当できて本当に幸運で幸せでした。藍プロらしく、フェアウェーをきっちりキープして、優勝目指して勝負してほしいです。(構成・榎本 友一)

 ◆中原 創一郎(なかはら・そういちろう)1975年6月19日、東京・世田谷区生まれ。42歳。8歳でゴルフを始め、鹿児島・国分高3年の九州大会で2位。専大ゴルフ部から98年に本間ゴルフ入社。2002年にブリヂストンスポーツ入社。国内外で男女のゴルフツアー担当として活躍中。

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