米男子プロゴルフツアーで日本人最多5勝の松山英樹(27)=LEXUS=が、スポーツ報知のインタビューに応じた。日本代表入りが濃厚な東京五輪では、親交の深いプロ野球・巨人の菅野智之投手(30)とともに“エース”としての活躍を宣言した。(取材・構成=榎本友一、岩原正幸、宮下京香)
―19年を振り返って。
「良かったんじゃないですかね。うまくいった部分も悪かった部分も出て、良くなりそうな1年だった」
―年末年始を迎える心境は昨年と違うか。
「明るい感じで先が見えてきた。結果として良いとは言えないけど、徐々に良い方向にいき始めたな、というのがある。悪いなりに底辺を脱した感じ」
―東京五輪イヤーはどんな1年にしたいか。
「自分に期待してます。勝てるんじゃないかって」
―その感覚は久しぶり?
「初めて思ったかもしれないです。2年半も勝っていないから、ただ勝ちたい願望が強過ぎて、そういう言葉になっちゃうのかもしれないけど。いけるんじゃないかな、というのは感じます」
―巨人・菅野投手が松山プロと「一緒に五輪に出たい」と言っていた。
「そう言ってくださると、すごくうれしいですね。菅野さんは昨年、優勝して(チームを優先する姿勢に)柱みたいな感じがして格好いい。東京五輪(代表)でも自然とそうなってくる人だと思うので、ゴルフでは自分がそうなりたいな、と思います。『お前がいれば大丈夫』って思われたいな~(笑い)」
―どのあたりに柱っぽさを感じるか。
「腰の痛みとかいろいろあったと思うけど、表に出さなかったじゃないですか?だからすごいな、と。強いし、それがエースなのかなと思う。僕は巨人ファンだから格好いいとしか思わない。僕もそれに負けないような姿を見せられたら」
―日本初開催となった米ツアーのZOZOチャンピオンシップはどうだったか。
「コースとギャラリー以外の雰囲気はPGAツアーだった。PGAツアーの普通の試合でここまでギャラリー入るかな、と思いながら見ていた。男子ゴルフも、魅せられる人がいたらこれだけ来るんだなと」
―歴史的な一戦で、ウッズと初めての優勝争いを演じた。
「3打差で、競っている感じはなかった。ただ(最終日の)月曜日に6ホール残って、4つ(バーディーを)取ればワンチャンスあるかなと思っていた。その通りの結果になって、取れなかった自分がすごい悔しい。でも後からウッズの優勝コメントを見ると(松山のプレーを)見てプレーしていたことを知った。優勝するためには、それくらい相手を見なきゃいけないんだなって。今の日本選手は『自分のプレーをして勝ちました』というのをよく(耳に)するけど、あれだけ勝っている人は違う考えなんだなと思いました。すごく参考になった」
―昨年11月の三井住友VISA太平洋マスターズで、東北福祉大の後輩・金谷拓実(21)が史上4人目のアマチュア優勝を果たした。
「率直にすごいなと思いますね。あいつ、心臓ついていないと思うので(笑い)。僕と違って、どうなりたいかという明確な目標があって、何をしないといけないかを分かっている。夏場に相談を受けたから『プロの試合で勝てば選択肢が増えるよ。勝てよ』と言ったんですよ。そしたら『はい』って言って、本当に勝っちゃった。頑張ってほしいなと思いますね」
―渋野のAIG全英女子オープン制覇は、どう見ていた?
「(5月の)ワールドレディスサロンパスカップで初優勝して『すごいな、うまいなあ』と思って見ていたら、あっという間に2勝目。そして全英。初日、なんで海外行ってすぐうまくいくんだろうなぁと思った。2日目に上位にいた時点で『勝っちゃいそうだな、この子』と思っていたら、本当に勝っちゃった」
―メジャー最終日に笑顔で自分のプレーを貫いた。
「すごいと思うし、それ(自分のプレーを出すこと)しかできないと思ってやっている。テレビ越しで見ている感じでは、何か特別なことをやったから勝ったというわけじゃなくて、自分の出せるものを全て出して勝ったと思う。出し切れるほど練習をしていたんだな、それを信じてやってたんだろうな、としか思わなかった。それをできる人が何人いるんだろうな、とは感じますよね」
―ZOZO―の前に初対面した時の渋野の印象は?
「真っすぐ見られなかった。恥ずかしくて(笑い)」
◆ゴルフ東京五輪への道 男子は6月22日、女子は同29日時点の世界ランクを基準に算定する五輪ポイント上位60人が出場権獲得。〈1〉15位以内は各国・地域で最大4人〈2〉16位以下は〈1〉の有資格者を含み最大2人が出られる。男子は7月30日から4日間、女子は同8月5日から4日間、埼玉・霞ケ関CC東Cで72ホールストロークプレーの個人戦で競う。16年リオ五輪で初出場した日本勢は男子が池田勇太21位、片山晋呉54位。女子は野村敏京4位、大山志保42位だった。
◆松山 英樹(まつやま・ひでき)1992年2月25日、愛媛・松山市生まれ。27歳。4歳からゴルフを始め、2011年の三井住友VISA太平洋マスターズで日本ツアー3人目のアマV。プロ転向した13年にツアー史上初のルーキー賞金王に。日本ツアー通算8勝。米ツアー通算5勝。17年全米オープンで日本男子メジャー最高タイの2位。17年6月には世界ランクでも日本男子最高の2位に。181センチ、88キロ。家族は妻と1女。
◆取材後記 都内のホテルで取材に応じてくれた松山は、いつになく明るく、冗舌だった。担当7年目で初めて見る姿だった。ゴルフに関しては完璧主義者の印象が強い。好成績が出ても、自身の感覚が悪ければ決して納得しない。その男の口から今回、自信に満ちた言葉を聞けたのは驚いた。よほどの手応えがあるのだろう。
19年9月に開幕した米男子ツアーの新シーズンはCJカップ3位、ZOZOチャンピオンシップ2位など好成績を残している。1957年、霞ケ関CCで行われたカナダカップ(現W杯)で中村寅吉と小野光一の日本代表が団体初優勝。日本に空前のゴルフブームを呼んだ。日本ゴルフ界初の五輪金メダル獲得で再び、同じ霞ケ関CCから熱狂をもたらす予感がする。(ゴルフ担当キャップ・榎本 友一)