エージシュートはついに986回に達した。2日、よみうりゴルフクラブ(東京都)。86歳のエージシューター、田中名人は,37,37の74、実にエージシュート12アンダーの自己最高とタイの好スコアで偉業を達成した。
3月2日午前8時24分、インスタート。コースは2月28日にベントから高麗グリーンに切り替わったばかり「冬の高麗は難しい」と警戒してのラウンド。10番から8連続パー。18番でドライバーをナイスショットしながら短いパーパットを外すボギーがあったが、1オーバー37、上々の前半となった。
午後のアウトは10番パー5を6メートルに乗せバーディー。3番、グリーン奥へ外すボギー、7番パー5は1メートル弱のパーパットを外し「ロングホールのボギー、あれは痛かった」と唇をかんだが、難関の8,9番をパーの37。通算2オーバー、74は見事だった。
圧巻だったのは1961年、アーノルド・パーマーも出場した読売プロ選手権最終日、ゲーリー・プレーヤー(南ア)が200ヤード余の第2打をバフィーで放りこむイーグルで逆転優勝につなげた8番ホール(当時は9番として使用)だ。田中さんのティーショットはプレーヤーと同じエリアのさらに先のクロスバンカーまで飛び、7番ウッドの2打目をグリーンオンさせて見事なパー。プレーヤーの名誉のために書くと、使用ティーイングエリア(ティーグラウンド)は、プレーヤーらはチャンピオンティー使用で距離は長く、田中さんは、自らが主宰する日本エージシュート・チャレンジ協会が規定する白ティー以上使用。ティーは前に設定され田中さんの方が飛んでいたのはそんなわけ。ともあれ、後半1バーディー2ボギーの37。通算2オーバーの74。年齢86歳を12アンダーのエージシュートシュートは自己の持つアンダーパー記録とタイ。会心のラウンドとはこのことをいう。
1935年3月3日生まれ、この日は、86歳、最後の日を締める大事なラウンド、しっかりと気合いを入れ、結果を出した。
71歳で70を出し始まったエージシュート人生は、79歳までの9年間で計54回。それが80歳代に入ると年間50回、83歳では125回、85歳ではついに200回越えの年間218回。そして、遂に86歳最後の日の3月2日、年間記録は85歳時を28回も上回る年間246回と更新、通算986回のエージシュートだ。
「暇と金があるゴルフ野郎がバカやってるという人もいるだろうが、監督もコーチもいない、すべて自分一人で決めてやるゴルフは人の一生にもたとえられる厳しいスポーツです。エージシュートはその中でも人生の最後に向かう中、年齢の衰えを元気で長生きと自分を律してやって生きがい。いいものを神様は与えてくれたと感謝している。トシだからもうだめだとぼやいて生きるか。元気で長生きと生きるか、どっちがいいか、考えることもない。充実があります」
当面1000回を目標にコースに挑戦する日々が待っている。「87歳になる明日からは、これまで1打で逃してきた2000回もの記録がすべて栄光の記録へと変わる勘定。益々、元気が出てきます。これをやりがいといわずなんといえばいいのでしょうか」と、目が輝き肌のツヤが一段と増した。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。87歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。