人生は照る日、曇る日、何が起きてもおかしくない、といわれ、ゴルフゲームの難しさを人生とオーバーラップして嘆くゴルファーは多いが、田中さんの存在ほど魔訶不思議なものはない、とつくづく思うこのごろである。エージシュートはすでに前人未踏の1200回を越え、ホールインワン3回、アルバトロスもやった。そのゴルフ人生は照る日ばかり、ゴルフのいいところばかりを“一人取り”だ。田中さんのエージシュートは2023年12月31日現在、1291回に達した。あと9回で、夢の1300回の大台到達である。そして現在、88才と9か月名人には、2024年3月3日、89才の誕生日まで勝負の時は続いている。23年シーズンを振り返り、24年の更なる成功を祈ってみる。
2023年11月1日、田中さんは東京・多摩丘陵のよみうりCCを39、44の83で回り1283回。翌2日も同コースを81の1284回である。もう背筋に戦慄が走るほどの迫力である。
そして3日、日本プロツアーの最終戦、「ゴルフ日本シリーズ」を4週後にひかえた、東京よみうりCCに挑戦するが93をたたき失敗。4日は病院に薬を受け取りに行くなどで休養、リフレッシュした5日、田中さんの姿は再び、東京よみうりCCへ。 そして、「日本で最もタフで難しい」といわれる、名物18番パー3でパーをとるなど好プレー、42、45の87。エージシュートに1アンダーの87で1285回目はさすがだった。
そして、快挙はさらに4日間、続く。相性の良いよみうりGCに帰った11月6日はなんと83、翌7日87、8日84、9日には78でまわり、年齢に10アンダーパーのエージシュート達成だ。通算1289回と急伸である。「エージシュート1300回まであと11回。年内に1300回の大台に乗せたい」絶好調に目が輝いた。
だが、この後、思わぬ事態に発展する。結論を先に記すと以後、エージシュートはこの年明けまでの約1か月半の間に2回加わっただけ、12月など1回もマークできず、記録はゼロ。鳴りをひそめたのだった。
オーバーワークによる疲労が原因だった。きっかけは日本エージシュートチャレンジ協会会長として15人の会員を引き連れて、恒例の故郷・島根カントリークラブとの交流ゴルフ、島根遠征だった。11月10日、羽田発、大社CC、出雲空港CCそして島根CCの仲間とゴルフ交流の旅。だが、今年は雨が降るなど天候にも恵まれず95、95、ホームコースの島根CCでも1打足りずの89とツキもなかった。エージシュートは1回も出ずじまい。疲労も出た。腰が痛んだ。帰京直後、筆者はよみうりGCでプレーをしたが、いつものキレはなく92。途中、腰伸ばせず足を引きずって歩く姿に驚いた。その後は3日連続でラウンドを休むなど体調の悪さに苦しんだ。
だが、その後、21日、25日とよみうりGCを年齢と同じ88でまとめ1290回、1991回をマークした。「ゴルフはあきらめないでやることだ。あきらめるのは簡単だが、試練を克服してこその進歩である」と信じて疑わず。決して手を抜かず、必至でたたく姿に感動すら覚えた。だが、復調とはいかず、ショット音は湿ったままだった。そんな無理が裏目にでたのは28日だった。運転免許証の高齢者講習会を受講する中で激しい腰の痛みで座っていられなくなり、ついに歩けなくなる。主治医の田中柳水先生の診断を仰ぐと坐骨神経痛。12月9日、ドクターストップがかかった。
だが、田中さんは「動くことをやめたら衰えるばかり」と痛みどめを飲みコースに出た。そんな田中さんに主治医は「ハンデ20くらいのレベルのゴルフをするのなら12月20日ころラウンドしてもいいが、エージシュートを狙うなら12月いっぱいはコースに出ることは断じて許せない」と諭すのだった。しかし、そんな厳しさも田中さんには通じるはずがなかった。12月15日のことだ。痛み止めをそれまでの定量の50グラムの倍の100グラムを飲んだ田中さんは21日、ドクターに隠れてラウンド。だが、立っているのがやっとで100、その翌日は102をたたく。おかしいのは“隠れゴルフ”が見つからないと思っていたところ、ドクターの奥さんとコースでばったり会って、先生の知るところとなり主治医から厳しくたしなめられたのは言うまでもない。
その後も田中さんの姿はコースに見られるが、エージシュート更新の朗報は聞かれず年は明けた。新年のご挨拶は1月4日によみうりGCでかわした。59キロだった体重は65キロ余に増え、つやつやの顔はピンク色、姿勢はシャンと背筋が伸びて精悍だが、往年の冴えからは程遠いとここは心を鬼にして厳しく、名人!ご自愛あれ!と叫ぶ次第である。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。88歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。