【母の日の伝説】シンデレラ・渋野日向子が令和最初のメジャー女王に「私で良かったんでしょうか?」


初優勝を飾り、ほかの選手たちから水をかけられ、祝福されて笑顔の渋野日向子

初優勝を飾り、ほかの選手たちから水をかけられ、祝福されて笑顔の渋野日向子

◆女子プロゴルフツアー メジャー初戦 ワールドレディスサロンパスカップ 第3日(4日、茨城GC東C=6665ヤード、パー72、報知新聞社後援)

 大会最終日が「母の日」と重なることが多いシーズン最初のメジャー。2008年にメジャー昇格後、数々のドラマが生まれてきた。その名場面を振り返る。第3回は2019年大会の渋野日向子。

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 首位から出た1998年度生まれ「黄金世代」の渋野日向子が4バーディー、3ボギーの71で回り通算12アンダー。大会史上最年少の20歳178日(当時)で、令和最初のメジャー制覇&ツアー初優勝を飾った。海外勢のメジャー連勝を「5」で止め、黄金世代では6人目のツアー優勝。8月のAIG全英女子オープンの出場権獲得も有力とした。

 最終18番。渋野は30センチのウィニングパットを沈めると、泣きながら笑った。「だんだんうれしさがこみ上げてきた。生まれてきてから一番うれしい」。同世代で親友の大里桃子らからウォーターシャワーで祝福された。「令和元年感はまだないけど、メジャー(優勝者)も日本人は久々…。私で良かったんでしょうか?」と、無邪気に首をかしげた。前週の勝みなみに続き、黄金世代が連勝だ。

 自身初の最終日最終組。緊張のあまり1番で左へ曲げて、連続ボギーなしは「38」で止まった。ぺ・ソンウ(韓国)と首位に並んで迎えた16番パー4は、中央に大木がそびえるこの日の最難関ホール。第1打を狙い通りにフェアウェー左に運ぶと、左足下がりの第2打をピン左8メートルへ。ぺは第2打を右の林へ曲げるなどダブルボギー。自身はパーセーブで2打差をつけて勝負を決めた。

 強風の中、5番で10メートルのバーディーパットを沈めるなど、今季平均パット数(パーオン時)1・7563で1位の力を発揮した。17年秋から青木翔コーチ(当時34)の指導を仰ぎ、苦手克服に挑んだ。毎日9ホールの“パットラウンド”は、1番の1メートル弱から始まり最終9番では4~5メートルまで徐々に距離を伸ばす。1ホールで2回以上ミスをしたら1番に戻る。始めた当初は3時間を要したが、現在は30分で終えるまでに上達。青木コーチは「やり続けてきたことが、ようやく実を結んできた」とたたえた。

 12日の最終日は「母の日」。「母は4月が誕生日だったけど、何もしてなかった」と渋野。今大会会場は、筑波大陸上部で投てき選手だった両親が同じ20歳ごろに過ごした思い出の場所からも近いという。ソフトボールでは最速95キロ右腕は、大会史上最年少記録でのメジャー初優勝というとびっきりのプレゼントを母に贈った。地元・岡山市の体操教室で指導する母・伸子さん(当時51)は、仕事の都合で歓喜の瞬間に立ち会えなかった。だが、速報や録画放送で確認し「本当に我が子なのかな…。こうして頑張る姿を見せてくれることが何よりもプレゼントです」と孝行娘に感謝した。

 この優勝でAIG全英女子オープン出場権を手にし、8月の初出場のメジャーの大舞台で世界を驚かせた。初日に66で1打差2位と好発進すると、第3日に首位に立って逃げ切りV。1977年の全米女子プロ選手権の樋口久子以来日本女子2人目のメジャー制覇の大偉業を成し遂げた。積極的な攻めのゴルフと代名詞の明るい笑顔から、「スマイリング・シンデレラ」として世界中から注目を集めた。

 ◆渋野 日向子(しぶの・ひなこ)1998年11月15日、岡山市生まれ。25歳。8歳でゴルフを始め、小学時代はスポーツ少年団でソフトボール選手。岡山・作陽高を出て昨年7月、2度目の受験となったプロテストで合格。米ツアー1勝、国内通算6勝。165センチ。血液型AB。家族は両親と姉、妹。

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