【母の日の伝説】福嶋晃子が涙のメジャー3冠を達成「きょうは一晩中、泣いていると思います」


ワールドレディスサロンパスカップ最終日。プレーオフ2ホール目、申ジエ(左)の前でティーショットを放つ福嶋晃子(右)

ワールドレディスサロンパスカップ最終日。プレーオフ2ホール目、申ジエ(左)の前でティーショットを放つ福嶋晃子(右)

◆女子プロゴルフツアー メジャー初戦 ワールドレディスサロンパスカップ 最終日(5日、茨城GC東C=6665ヤード、パー72、報知新聞社後援)

 大会最終日が「母の日」と重なることが多いシーズン最初のメジャー。2008年にメジャー昇格後、数々のドラマが生まれてきた。その名場面を振り返る。最終回は、東京・稲城市の東京よみうりCCで行われた2008年大会の福嶋晃子。

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 福嶋晃子(当時34)=NEC=がプレーオフ5ホールの死闘を制し、メジャー昇格大会の初代女王に輝いた。首位スタートから73とスコアを落とし、71で回った申ジエ(当時20)=韓国=に通算4アンダーで並ばれた。名物ホールの18番パー3を使ったプレーオフは、5ホール目に申がボギーパットを外して決着。福嶋は11年ぶりのメジャーVで日本女子プロ、ツアー選手権に続く3冠を達成した。

 死闘の末、会場を感動で包み込んだ。申の1メートルのボギーパットが外れた瞬間、福嶋はあふれる涙を抑えようとしなかった。1時間6分にも及んだプレーオフ5ホールの激闘。東京よみうりCCの名物ホール、18番グリーンを囲む大ギャラリーの拍手に包まれながら「こんなにうれしい優勝は久しぶりです」と声を震わせ、また涙した。圧倒的な飛距離と米ツアーで磨いた絶妙な寄せで11年ぶりにメジャータイトルを奪還した。「きょうは一晩中、泣いていると思います」朝からの雨がやみ、雲間からのぞく太陽が勝者を照らした。

 1打リードの首位で迎えた17番で、第1打を左の林に曲げボギー。プレーオフに突入した。舞台は過去3日間、通算4オーバーだった最難関の18番。すべて1オンした申に対し、3度もグリーンを外した。しかし、3ホール目でピン左3メートル、4ホール目でも左奥から4メートルを沈めた。「どこからでもパーを取ってやると思ってた。ラインは見えてました」魂のパーセーブが、最終的に申のミスを誘った。中国賞金女王の張娜も含めた“日中韓女王対決”も制した。

 メジャー2勝を挙げた97年は、福嶋を中心に女子ツアーが回っていた。99年の米ツアー参戦後も、現在の宮里藍や上田桃子の場合と同様、日本から多くの報道陣が取材に押しかけた。だから06年、07年と日本で2勝ずつしても心からは喜べなかった。「いつもの優勝とは違うんです」。頂点を味わった選手にしか分からないプライドだった。

 グリーン脇では、母・しず江さん(当時59)も涙していた。「もう一度、輝きたいという気持ちは大きかったと思います」。今年1月、自宅に12人のプロや研修生を集めて行った1か月半の“合宿”で、全員の食事をまかなった。そんな母に「優勝」というプレゼントを「母の日」に初めて贈ることができた。

 大迫たつ子、森口祐子、涂阿玉、塩谷育代、肥後かおり、不動裕理に続きツアー史上7人目のメジャー3冠だ。前人未到の4冠へ、残るは日本女子オープンだけとなった。「毎年変わるコースとの相性はあるけど、今年も頑張りたいです」。ツアー史上最長の11年ぶりのメジャータイトルだった。

 ◆福嶋 晃子(ふくしま・あきこ)1973年6月29日、神奈川県出身。50歳。私立白鵬女子高卒。10歳からゴルフを始める。アマチュア時代には1988年の関東ジュニアゴルフ選手権を手始めに28個のタイトルを獲得。1992年にプロ転向後、94年のダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントで初優勝。その後96年、97年と2年連続で賞金女王に輝く。優勝回数は国内24勝、海外2勝。163センチ。O型。

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