【日本S】勇太「悔しい」初賞金王 1打差2位に「来年こそ勝って決める」


2位となり、賞金王に輝いた池田勇太は女性ファンから贈られた花束を手に笑顔を見せた

 ◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアーメジャー最終戦 日本シリーズJTカップ最終日(4日、東京・東京よみうりCC、7023ヤード=パー70)

 池田勇太(30)=日清食品=が、プロ10年目で初の賞金王に輝いた。2位から出て5バーディー、1ボギーの66で意地を見せ、通算12アンダーで1打差2位。今季の獲得賞金を2億790万1567円に積み上げ、谷原秀人(38)=国際スポーツ振興協会=を振り切った。今大会初出場の朴相賢(33)=韓国=が18番でチップインバーディーを奪い、逆転で日本ツアー初優勝。首位から史上最年少でのメジャー3冠を狙った小平智(27)=Admiral=は1打差2位に終わった。

 両手で「祝 賞金王」のボードを持ち上げ、池田は笑った。「100%ではないけど、80%ぐらいは納得できる。安ど感とかいろいろありますね」。谷原に約3600万円の差をつけ、プロ10年目で手にしたツアー最高の栄誉。13年の松山英樹以来4人目の2億円超えとなった。前半を終えて首位と4打差だったが、13番で約8メートルを決め、続く14番では約4メートルを決めてバーディー。17番で1打差に迫っての2位。たとえ谷原が勝っていても、池田がキングだった。

 09年は2位、10年は4位。王座は近いようで遠かった。女手一つで育てた母のゆみさん(51)は「昔から、賞金王になりたい!と言ってましたから。IDケースの中に笑顔の祖父(直芳さん、享年85)の写真を入れ、ピンチになったら(祖父に)お願いしてました」と初の戴冠に胸をなで下ろした。

 「30歳は節目」と位置づけて挑んだ16年だった。「契約がうまくいかなくて」とクラブ契約をフリーにした。逆境は発想の転換で味方に付けた。「じゃあ全部変えちゃおう」。代名詞の角刈りと3タックズボンに別れを告げ、流行を意識したおしゃれゴルファーに変身。筋力トレーニングにも「人生で初めて」励んだ。

 使命と責任感を背負ってきた。11年3月。東北福祉大で4年間を過ごした宮城県を、東日本大震災が襲った。7月には避難所で炊き出しを行うなど、被災地支援を続けてきた。「ずっと(被災地が)頭にある」。13年は史上最年少の27歳で選手会長に就任。15年まで3年間、ツアーを盛り上げるために奔走した。オフも満足に練習できない忙しさだったが「言い訳はしたくない」と強がった。

 ただ、悔しさは残った。「2位もビリも同じ。勝たなきゃ意味がない」。昨年5月に他界した祖父・直芳さんの口癖だ。「悔しい思いが強い。来年こそ日本シリーズで勝って賞金王になりたい」と完全燃焼を誓った。世界ランクは年末時点での50位以内が確定し、来年4月にオーガスタナショナルGCに乗り込む。「マスターズに向けて、1月から頑張っていきたい」。日本の看板を背負って夢舞台に挑む。(高橋 宏磁)

 ◆池田 勇太(いけだ・ゆうた)1985年12月22日、千葉県生まれ。30歳。6歳の時に祖父・直芳さんの影響でゴルフを始める。千葉学芸高から東北福祉大に進学。03年世界ジュニア優勝など多くのタイトルを獲得して07年11月にプロ転向。09年6月の日本プロで初優勝。今季3勝を挙げ、ツアー通算16勝。13年から15年までは選手会長も務めた。176センチ、76キロ。