驚異のエージシューター田中菊雄の世界56 武藤一彦のコラム─驚きのエージシュートの世界。サム・スニード、ジャンボ尾崎、中村寅さん、チャコ樋口、みんなエージシューター


 さて、自分の年齢以下のスコアでラウンドするエージシュートはホールインワンより価値があるといわれる。初めてクラブを握ったラウンドでホールインワンをやった女性や10歳の少年がいきなりカップに叩き込んだなどホールインワンにまつわる話は、”ゴルフいい話“として枚挙にいとまがない。そこには、キャリアとか熟練度を抜きにした幸運がからみ無条件で万人に受け入れられ驚きがある。
 それと比べてエージシュートは経験とか熟練といったものが入り込む、職人、こだわりの世界である。パー72のコースを72ストロークで回ることを基準とするゴルフだが、そこに年齢をもちこみ72歳で回ってごらんなさい、などと一体だれが言い出したのだろう。ゴルフが生まれて1000年。そこには加齢からくる衰えを克服する努力や精進、ゴルフにかける熱意への敬意が込められて今やエージシュートはゴルファーがゴルファーらしく生きた証(あかし)となっている。

 

 そこでエージシュートの現状である。60歳以上の“限定競技”と言える。そして、プロとアマ、それぞれに別の種目に分けてみる必要がある。30,40代でいまだ100を切れない人にはうらやましい限りだが、まず海の向こうのプロの世界。
 PGAツアーで最初にやったのはあのサム・スニード。1972年の「クオードシティ・オープン」に67歳で出場、第1日に66、2日目には65のスコアを出した。これが米男子プロツアーの最初の記録。
 プロのトーナメントといえば50歳以上のレジェンドが出場するシニアの試合。米シニアツアー、チャンピオンズのツアー記録はウオルター・モーガンの61歳の60。2002年の「AT&Tカナダ・シニア・プロ」で出した。ツアーではないが、アメリカの下部ツアーで1975年、ボブ・ハミルトンが59歳の時、59という記録がある。ハミルトンカントリークラブは、6200ヤードあったというから59は驚異的な記録だ。
 ちなみに記録認定のギネスブックの認定ヤードエージは男6000ヤード、女5600ヤード以上。

 

 日本ツアーでは2013年の「つるやオープン」の第2ラウンド、66歳のジャンボ尾崎が62を出した。年齢を4アンダー下回る、ツアー記録。優勝113回、賞金王12回に加え輝かしい快挙だ。

 

 エージシュートといえばやはりシニア。寅さん、中村寅吉は1981年の「関東プロシニア」で年齢と同じ65、日本最初のエージシューターとなった。群馬の鳳凰CCを1イーグル,7バーディー、2ボギーの7アンダー65は伝統の公式戦、メジャー世界初と話題となった。2007年、青木功は熊本中央CCの「日本シニア・オープン」を65歳で65、メジャーを制した。エージシュートで話題を倍増させる。さすがプロはすごい。シニアツアーは日、米、欧州とエージシュートは年々、日常化してきた。

 

 女子ではチャコ、樋口久子が68歳の2014年、女子ツアーのプロアマ競技を65で回った。コースは6351ヤード、都CC。寅さんの秘蔵っ子は師匠と並んだ。女子のエージシュートは世界的にも珍しい。

 

 アマではギネス(06年)に2623回もエージシュート記録したアメリカ人男性がいる。日本では85歳までに61回を記録した霞ヶ関CCをホームコースとする倉重清久氏(明治33年生まれ)の記録が残る。77歳で初めてエージシュートを達成、すべての記録がスコアカードとともに残されており貴重なデータだ。われらが田中名人の先をいった大先輩、こうした人達を掘り起こすのも今後の大切な課題となる。

 

 アマでは長寿で健康な人に限られる快挙として注目を集め2011年には「全日本エージシューター・マスターズ大会」が開かれている。高齢化が進む中、幸せで活力のある社会を維持していくには一人一人が健康を意識して、自立して暮らす健康寿命を延ばすことが必要となる。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。82歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。