東北の名物コース、夏泊ゴルフリンクスを6378ヤードのレギュラーティーから初めてラウンドした82歳の田中さんは、77、エージシュートをあっさりと達成した。年齢を実に5ストロークも下回る5アンダーだった。
この快挙は地元ゴルファーの知るところとなり夏泊ゴルフリンクスは終日、その噂で持ち切りとなった。コース開場以来25年、多くのゴルファーを見てきた支配人の最上悟さんは「初ラウンドでいきなりエージシュートというのは本当にびっくりした」と目を丸くした。「東京から朝一番の飛行機で来場され、11時過ぎ、軽くショット練習したあと、パットを入念に調整しスタートしたが、2番をバーディーとし7番までパープレー。8番左ドッグレッグのブラインドホールをダブルボギー、続く9番打ち上げ、打ち下ろしの難しいホールもボギーとしながら前半は39。インも最終ホールでバンカーにつかまり3パットのダブルボギーをたたきながら38だった。東京からの同伴2競技者もコースを廻るのは初めて。ハウスキャディーのアドバイスだけが頼りの初ラウンドで、ですよ。無風、快晴の好コンデションだったとはいえ驚きました」と口をあんぐりした。
実はここで明かしておかなければいけないことがある。田中さんを夏泊ゴルフリンクスにいざなったのは筆者である。
同コースでは1995年、日本プロ選手権が開かれ、当時、報知新聞記者として取材したのがきっかけでその後、理事を経て16年から理事長を仰せつかった。コースの経営母体が水戸グリーン、球磨カントリークラブなど全国で6コースを運営する「エビハラスポーツマン」で、その代表が立大ゴルフ部時代の後輩でコース設計家の海老原寿人さん(夏泊もこの人の設計)という奇遇も重なった。そんなわけで田中さんには「ぜひ1度、夏泊でラウンドを」と声をかけた。エージシュートに熱意を燃やす田中さんはすぐ反応、“コーチ役”の女子プロ、浪埼由里子さん、会社の加藤伶子さんともども訪れてくれたとうわけ。このあたりの行動力、決断、実践力は、驚くほど速い。考えるより先に体が動くあたり、ゴルフのうまい人に共通するセンスだが、今回は正直驚いた。夏泊は難コースだ。簡単ではない、というのが本音だった。それが、いきなりのエージシュートである。田中さんのすごさを思い知った、というのが本当のところ。
ここから本題である。今回はその翌日、6月28日のことである。田中さんは帰京するその日、2度目のエージシュートを目ざす第2ラウンドを行ったのである。だが、結果を先にいおう。この日はアウト42、イン42の84。エージシュートに 2打及ばなかった。
だが、この日のラウンドには前日とは違う大きな“ハンデ”がついていたことを明かさなければならない。ハンデをつけた、と言いなおそう。田中さんはティーをコースの公式戦で使うバックティー、6836ヤード、前日の白ティーからパー5ひとつ分は長いバックティーからプレーしたのだった。
田中さんは自ら距離延長へ挑んだ。なぜ、?「最近好調な自分のゴルフへのこだわりです。ドライバーの飛距離が伸びてきた。以前は低い弾道からランを多用して飛ばしていたが、最近は球がつかまり高さが出てきた。以前の払い打ち一辺倒から、しっかりインパクトへ力が集中するスイングに変わったことで球が高弾道になった。その成果を好調なうちに試しておこうと思った」
エージシュートにこだわりながらも、その過程で冒険をいとわない、ゴルフは上を見ればきりのない世界だからこそ、自分に厳しさを求めるー田中ゴルフは先を見つめたゴルフ道。そんなこだわりがある。
この日、名物の16番、津軽湾に向かって打ち下ろす607ヤードのパー5の3打目、田中さんは230ヤードのスプーンのショットを右ブッシュにOB、痛恨のトリプルボギーの8をたたいた。「ここでバーディーを取れば、2日連続のエージシュート。可能性があれば挑戦する、が身上ですから前向きに行った。失敗でした」ははは、と明るく笑った。
この後17,18番を、連続バーディーを狙って連続パーでホールした粘りを見せたが、OBは痛かった。
再び、最上支配人。「この日は私もご一緒したが16番の3打目はバーディーを狙って迫力があった。田中さんのゴルフの強さを印象づけられこそすれ、ミスを悔やむことにはつながらなかった」といった。当を得た評価と同調する。ともあれ田中さんにはなんのこだわりもなかったところがその強さ、したたかさの秘密。次回からはそのあたりを探る。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。82歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。