8月18日、その日、関東地方は久しぶりに太陽がのぞき、木々の緑が濃く、青空がまぶしかった。田中名人は神奈川の相模カントリークラブにいた。名門・相模は赤星六郎設計、あくまで平坦な林間コースだが、1931年創立、樹齢80年を超す巨木が各ホールをセパレート、ベント芝の小ぶりなグリーンはバンカーにガードされ手ごわかった。レギュラーティー5921ヤード、パー71(35,36)。ショートなコースだが、距離だけでその評価を判断すると手痛い目に合う。ラフは深く食い込みフェアウエーは細く、ドッグレッグホールのカーブには必ずバンカーが待ち受けた。ティーショットを230ヤードしっかりキャリーで打つゴルファーにしか挑戦を許さない戦略型のコースだ。
名人のスタートは素晴らしかった。1番から4番までパープレー。5番、難易度1のパー4でボギーも、直後のショートホールでピン1センチを直撃、5センチに止めるバーディーで取り返すと、8番までパープレーの快進撃。9番で3オンした後、3パットのダブルボギーをたたきながら2オーバーの37はさすが。「9番はバーディーを取ってやろうと無理しすぎた」と反省した。
午後は苦戦した。好スコアに期するものがあったのだろう。昼食の席でビールをすすめると”やめておきます”と言いながらグラスが来ると、いつも通りコップに半分だけ飲んだのが響いたようだ。11番でダブルボギー、さらに13番から3連続ボギーのあと、17番パー5でもボギーをたたいた。
気を取り直した最終18番のパー5は6メートルのバーディーパットを入れインは41、通算78ストローク。82歳の年齢に4打余裕のエージシュート、見事な結果だった。
「エージシュートの中身にもこだわりたいと思っています。きょうはアウトが良く、チャンスがあれば9アンダーの自己記録を破ってみたいと挑戦したけど失敗でした」いたずらっ子のような顔をした。エージシュートを目標に日常のラウンドのすべてにチャレンジする名人だが、エージシュートのアンダーパー記録は、81歳の昨年9月、ホームコースのよみうりゴルフクラブをパープレーの72、年齢に対して9アンダーで回ったものだ。この日は”自己記録更新“に挑んだが、「気負いすぎて失敗だった」と潔く認めるのだった。
「スコアにこだわらずパーおじさんとの勝負こそGOLFである」といったのはボビー・ジョーンズ。田中名人は「スコアにこだわるのがゴルフなら究極のこだわりはエージシュートにあり」と挑戦し続けている。こだわりの人生は、2006年8月29日、71歳のとき、静岡・富士国際富士コースを2アンダー70で回ったのがエージシュートとの出会い。以来12年、自分の可能性を求めて挑み続けるエージシュート人生。回数への挑戦を第一に、今ではチャンピオンティーからの挑戦や、公式戦でのエージシュートなど自分に課す“種目”を次々と設定する名人である。
エージシュートはこの日、ついに231回目に達した。「相模CCでは5回目。80歳代になってから初めて出した通算55回目も相模でした」ちなみにホームコース以外のコースでは東京・桜ヶ丘CCの7回に次いで2番目の多さである。記録へのこだわりがそのゴルフを支える。名人のタフさ、息の長さ、その脅威のエネルギーの源である。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。82歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。