【藍のメモリー】(8)「やめるかもしれない」初めての弱音…横山倫子語る


15年、横山(右)と談笑しながら練習ラウンドする宮里藍

 出会いは中学の時。私が1つ年上だけど、出会った時から馬が合って仲良くなりました。私が先に大学生(専大)になり、彼女は高校3年生でプロになった。彼女が東京のホテルに泊まる度、週末に会いに行ってはお笑いの話や恋の話とか『女子トーク』をして、買い物に出かけた。優勝してもどれだけ有名になっても、藍ちゃんは何も変わらずにいてくれました。

 04年頃、いつも一緒にいるようになった。ある時、『キャディーやってみたい』と軽い気持ちで言ったら、04年11月の大王製紙エリエールレディスと最終戦のLPGAツアー選手権リコー杯でバッグを担ぐことになった。私は「2週間も一緒にいられる」と、まるで旅行気分。試合では2人で鼻歌を歌いながら歩き、はやっていたギャグを言い合った。私が(ピンまでの残り距離の)歩測を間違っても、笑ってラウンドしました。

 最終戦まで知らなかったのですが、藍ちゃんは不動(裕理)さんと賞金女王争いの真っ最中でした。それでもエリエールでは優勝し、翌週は2位。キャディー経験のない私をパートナーにしての成績ですから、藍ちゃんの実力がどんなにすごかったか分かりますよね。

 藍ちゃんが米国に拠点を移しても関係は変わらなかった。2007年秋、藍ちゃんの方から「米国に来てほしい」と言われ、行ったことがあった。渡米前には(藍の母の)豊子さんからメールで「藍のことよろしくね。倫子しかいないから」と言われたけど、ピンとこなかった。当時、彼女がドライバーイップスで悩んでいることを知らなかったんです。

 米国では練習や買い物をして、いつものようにたくさん笑いました。呼んだ理由が分かったのは、私が日本に帰る前日の夜。「ゴルフをやめるかもしれない」と告白されました。でも、これまで一度も弱音を吐かなかった彼女からの告白に『頑張って続けろ』なんて言えるはずがない。「辞めていいよ」と言いました。ゴルフが彼女の魅力の全てではないことを知ってましたから。

 そこから何度も困難を乗り越えてきた彼女に、引退を告げられたのは昨秋。正直、ホッとしました。これからの私たちの珍道中第2章が、楽しみです。(構成・高橋 宏磁)

 ◆横山 倫子(よこやま・ともこ)1984年6月22日、香川県生まれ。33歳。小学5年でゴルフを始める。香川西高卒業後、専大に進学し05年四国女子アマで優勝。04年の大王製紙エリエールレディスなどで藍のキャディーを務め、合計2勝に貢献。07年のプロテストを2位で合格。家族は両親と兄、姉。158センチ、52キロ。

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