◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー 今季メジャー最終戦・日本シリーズJTカップ最終日(3日、東京・東京よみうりCC=7023ヤード、パー70)
選手会長の宮里優作(37)=フリー=が13年大会に続く2度目の優勝を果たし、初の賞金王に輝いた。
闘病中ながら最終ラウンドを観戦した宮里優作の父・優(まさる)さん(71)がスポーツ報知に手記を寄せた。「グリーン上で体が動かなくなる」などの苦難を乗り越え賞金王に輝いた息子をたたえた。
こういうことがあるんだね。(賞金ランク3位の)C・キムが2日目に棄権して(同4位の池田)勇太も苦戦。賞金王の行方は、優作か小平くんに絞られた。さらに賞金王への条件は優勝だけ。すごい重圧があったと思うよ。その中で62ですから。ショット、パットも本当に成長したと思う。
小学校5年の頃かな。ジャンボ尾崎に憧れていた優作は、日記に「ジャンボみたいに賞金王になりたい」と書いた。そこからずっと目指してきた目標だからね。ここに来るまで、僕は長くかかったと思う。
アマ時代は実績を残した。今だから言うけど、大阪桐蔭高時代からパットの不安はあった。当時のパターが長くて体に合ってなかった。結果的にトウ側(体から見てパターの先端部分)を浮かせて打ってた。ストロークが良かったから、それでも試合は勝てた。
不安が形になって出たのは東北福祉大1年の頃。ある試合が終わった後に「お父さん、グリーン上で体が動かなくなった」と連絡が来た。急いで沖縄から仙台に飛びましたよ。悩みを抱えた時もあったけど、よくここまで来た。今季は平均パットが1位だからね。ストロークが真っすぐになって、本当に良くなった。
僕と優作はお互いに頑固で、昔からよく衝突した。プロ2年目(04年)の頃に「新しいコーチにつきたい」と申し出があって、コーチを辞めたこともある。また言うことを聞いてくれるようになったのは、初優勝した13年からかな(笑い)。
一番成長したのは精神面。昔は感情に動かされていたけど、今大会は何事にも動じることがなかった。選手会長としていろんな人に会って、僕は良かったと思う。人間としても成長したと思うから。試合後、ウィニングボールをもらいました。大事に取っておくよ。病院に無理を言って応援に来たけど、こんなにうれしいことはない。最高の薬になりました。(父・プロコーチ)