驚異のエージシューター田中菊雄の世界102 武藤一彦のコラムー仲間たち クラブの専門家が語る田中ゴルフ


 かつてゴルフのクラブは生涯に2、3セットを大事に使う貴重な宝物だった。武士の刀は魂といわれ、分身として生涯を共にし、先祖代々、使い続けた日本である。親子でワンセットというゴルファーの親子もいたものだ。だが、現代には通用しない話。クラブは使い勝手が優先され飛んで曲がらず、扱いやすさを求めてゴルファーはプロアマ、性別に関係なくクラブ選びに躍起となっている。実は田中ゴルフにもそんな時代が訪れ、クラブを軽量の打ちやすいものに替え劇的にゴルフが変わっていた。田中さんが80歳前後のことである。ヘッドの重いクラブを、うんうん言って振り回していたが、軽量のシニア向けクラブに替えゴルフががらりと変わっていたのである。クラブのコーディネーターで、田中さんのゴルフ仲間の吉沢貴司さんに話を聞いた。

 

 ―80歳を過ぎてドライバーショットを平均230ヤード、7アイアンで165ヤード、以下、番手ごとに10ヤード刻みのウエッジで135ヤード。驚異の田中ゴルフは夢の世界。クラブがゴルフを替えたというが、どのくらい影響しているのでしょう?
 「83歳でこの飛距離は驚きです。だが、データをとるとヘッドスピードは39から40いくかいかないくらい。80歳の平均が35前後ですから確かにパワーはあるが、傑出しているわけではない。飛距離が出るのは1・4以上もあるミート率。フェースの芯でしっかりとらえてプロ並みの技術でしょう」

 

 ―クラブのせいではないと?
 「いや、クラブ性能とマッチした結果です。完全なシニア向けクラブの性能とミート率の成果ということでしょうか。タラコと言われたユーティリティー、そこから進化したカーボンやさらに軽くて強いタングステン素材のアイアンの成果です。とにかくシニアが簡単に飛ばせる。そんなクラブがここ4,5年で大手メーカーも参入して市場に出まわった。田中さんのクラブは3年ほど前に3男の息子さんが持っていたシニア向けクラブをプレゼントされ、打ってみると弾道が高くなった。(そのおかげで)関東グランドシニア選手権の予選を突破することができた。81歳の時でスコアも81のエージシュート、最年長の予選突破と話題となり連盟から表彰された有名な出来事です」

 

 ―でもアイアンはロフトが立っていて技術がないと打てませんよね。7アイアンはかつての6アイアン、いや5アイアンともいわれる。当たれば飛ぶが、当てにくいのではないですか?
 「ロフトは確かに立っているが、タングステンを使い軽くなった分、ソールを厚くし重心を深くすることで高弾道が得やすくなった。その利点が大きい。田中さんにはそれがドンピシャだった。今ではツアーの女子プロも7アイアンからウエッジまでにシニア仕様のクラブを使う人が多くいる。男子プロはクラブの操作性を重視するので上がる、飛ぶというだけでは使いたがらない。キャビティ―と比べると操作性、手に伝わる感覚が及ばないのでまだ浸透していないが、変な操作をしないで打てる点ではアマ向き。しかし、今はシニアのクラブといっているが、30台後半のアマにも使いこなす人が少しずつ、出てきています」

 

 吉沢さんとのインタビューでは、「田中さんの特性がクラブとぴったり合うと人が変わったようになった」という別のテーマにも話が弾み興味深かった。何回も話題になったのは。「70歳になってエージシュートに目覚め、80歳でその回数が飛躍的に伸びる独自の世界にはいった驚き」「メンタル面の充実は回数が増えるにつれて高まっている。目的があるということはすごい境地を作り出すものだと驚かされた」「集中力はトッププロに匹敵するものがある。ピンチの時に動ぜず、チャンスをものにする勝負勘はアマプロの区切りがなくあることを知らせてくれる」といったことだ。
 そして吉沢さん、専門家らしくこんな見方。
 「ミート率の高い田中ゴルフはフェースをかぶせて使うインパクト重視のスイングが生んだ確率のゴルフ。アイアンは飛ぶ必要がない、目標を狙うクラブというが、でもアイアンが飛ぶとゴルファーはうれしい。何番で打つかは問題で、短いクラブで打つ方が、自信がわくし優越感に浸れます。実は飛ぶアイアンシリーズは開発して10年になる。どのメーカーもこれまで若者向けの飛ぶドライバーで細々やっていたが、ここにきて60歳以上、購買力のあるシニア向け、特に飛ぶアイアンの開発で生き残りをかけている。ゴルファーは5年のスパンでクラブを選ぶ時代に入ってきているのです」

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。83歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。