驚異のエージシューター田中菊雄の世界107 武藤一彦のコラムー充実の83歳


 「ゴルフは素晴らしいゲームだ。いろいろやってみたが、ことが思わぬ方へ行くのは人生と同じ。考えて時間をかけ失敗しても反省の教材にすれば、それが経験の積み重ねになり、結果、すべてがいい方に働くものだ。直観でやったほうがうまくいく。直観を確認できた年だった」
 83歳、田中さんの2018年が暮れた。エージシュートの通算回数は6月で300回に到達、12月末には370回に達した。83歳の誕生日を迎えた3月3日以降、約10か月弱で82歳時の年間最多90回を越えるハイペースだった。来る19年の84歳の誕生日まであと3か月もある。通算記録400回の大台も夢ではない。

 

 直観のひらめきとなったのは、アンダーパー記録。田中さん、今季ほどアンダーパーの多かったラウンドはかつてない。
3月、83歳初のエージシュートは沖縄・宮古島のシギラベイCCを39、37の76、エージシュートに7アンダーの華々しいスタートだった。それまでのベスト6アンダーを、いきなり更新した。波に乗った田中さん、以後12月いっぱいまでラウンドするたびに70台のスコアは27回に及んだ。さらに82以下のアンダー記録を加えるとアンダーラウンドが80回。何しろ、ぎりぎりの83はわずか10数回しかない、新たな驚きの世界に踏み込んで素晴らしい。

 

 エージシュートについてここで改めて触れておく。エージシュートの基準だが、「エージシュートとは年齢と同じスコアか、それより良いスコアで回ること」である。だが、世間は面白い。これをどう間違ったか、数字合わせと勘違いしている人が多く「年齢よりも低いのはエージシュートではないのでしょう?」と真顔で言われてびっくりしたことがある。宝くじではないから数字合わせではない。だが、あながちこの見当違いを笑えない。田中さんのエージシュートの9割以上はアンダーパー、すごい世界を作り上げているのである。

 

 沖縄で好スタートを切った18年。その1週間後、ホームコースのよみうりGCでも7アンダー。周知のとおり、エージシュートのヤーデージは白色で表示される「白ティー」だ。だが、6月2日、300回目のエージシュート達成ラウンドは東京よみうりCCのバックティーだった。39、42の81、エージシュートに2アンダーであがった。7アンダーと2アンダー、数字上では7アンダーに軍配が上がるようだが、使用ティーグラウンドがバックティーの2アンダーの価値は快挙である。距離のハンデは年齢の衰えとの闘いを掲げるエージシューターには意味がある。この日は長男・伸一さん、次男・秀樹さんに女子プロの浪崎百合子さんの若手とのラウンド。田中さんは若者に一歩譲ってバックティーを自ら選び、自らにプレッシャーをかけたのだった。「その翌日が300回達成の本番と決めた練習ラウンド、困難な道をあえて選んだ。自分への挑戦、どんなゴルフをやれるか、見たかった。そうしたらアウト39が出た。インは10、11番とボギー。12番から4ホールは全部ワンパットパーの通算5オーバー。ところがここからが試練、16番ボギー、うまくいけばバーディーの17番はパーもとれずボギー。そして最終18番パー3は2オンのあと3パットのダブルボギーですよ。エージシュートは300回目と良いラウンド結果は出たが、ゴルフのこわさ、難しさをまたも教えられました」―“また頑張れよ”、とゴルフの神様に後押しされたようなで気持ちでしたと受け止める。そこに強さ、したたかさが漂う田中さん。ダブルボギーのあがりでも結果を出すあたり、さすがだった。
 伏線があった。実はこの直前、東京よみうりCCのクラブ対抗の代表選手に83歳、クラブ対抗競技史上最年長の代表として選出されていた。72歳の時以来、12年ぶりの代表入りである。大会は伝統の団体戦。クラブチームの日本一を決めるアマゴルフ界のオリンピック的な意味合いを持つ大会。チームに選ばれるクラブの選考競技を1年間かけ乗りきっての代表入り。本物の力がなくては達成できない。田中さんの強さはここに極まっている。

 

 アンダー記録は9月、ハイライトを迎えた。千葉・紫あやめを36、37の73の10アンダー、自己新記録が出た。そもそも初のエージシュートが71歳、静岡・富士国際GC富士コースを70の1アンダー。それから13年、いまだ73のスコアがさらりと出るところが“タナカワールド”だ。素直に、明るく喜び、こう結論していた。「アンダーパーがすべてではないが、1アンダーが5アンダー。9アンダーが10アンダーへと伸びていくと元気が出る。ゴルフのスコアが伸びるのがゴルファーには何より励みだ。しかしエージシューターにはさらにパワーになります。なぜならスコアの良さは健康で長生きにつながる。俺は幸せだなと思わなければ生きていないのなら、もっと良くなると思いながら生きていった方がいい」―田中さんの直観力はそう叫んでいる。84歳の誕生日まであと3か月。19年の干支はイノシシ。田中さんの年である。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。83歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。