驚異のエージシューター田中菊雄の世界110 武藤一彦のコラムー400回達成


 ついにエージシュートは400回を数えた。田中さんは2019年2月28日、よみうりGCを39、41の80で回り、エージシュートに3アンダーで400回の大台に到達した。83歳と11か月。84歳の誕生日を3日後に控えての快挙だった。「やっと、たどり着いたり、喜寿の坂道、ではないが、皆さんの応援のおかげで400回まで来れました!感謝しております」お祝いのメールのご返事に喜びがあふれた。

 

 初エージシュートを記録したのが71歳。
 喜寿といえば77歳の時は、東京・桜ケ丘CCを年齢と同じ77で回り10回目を記録している。83歳となって400回目を達成した田中さんの脳裏に浮かび上がったのは10回目の喜びだったと推測する。初めてエージシュートをやって13年。83歳のシーズンだけで125回、シーズン自己最多のエージシュートをやってのけての400回だ。長い充実した道のり。感慨深いものがあるのだろう。喜びの胸の内を“喜寿”のそれと重ね合わせて心の底からよろこぶのだった。

 

 「83歳の年齢で400回、過去にそういう人はいないはず」と胸を張る。実は3日前の2月25日、田中名人の挑戦にお付き合い、東京よみうりCCを一緒にプレーした。例によって4、5日前にメールが入り、“そろそろ400回に手が届きそう。ご一緒しませんか”とラウンドの誘い。“オー”と応じて駆けつけると、お馴染みの女子プロ、浪崎由里子さん、プロ入り同期の小山内優代プロの二人に加えた2組8人、多くは40~60歳代の男性、腕に自慢の飛ばし屋ぞろい、日本シリーズと同じフルバックを使った超こだわりコンペだった。誤解のないようにお断りしておくが、400回を達成したのはよみうりGC。ここに出てくるのは東京よみうりCC。両コースは兄弟コース。お間違いのないよう。

 

 ゴルフ日本シリーズで知られる東京よみうりCCは記者時代から昨年末まで50数年連続取材を続け勝手知ったコースながら、これまで後ろから回ったのは1、2回。ゴルファーとして立ったティーグランドの景色は広すぎて長すぎてコースというより登山の世界、普段と全然違って歩くのに精いっぱいだった。バックティーになった理由はやはり田中さんが原因。「エージシュートは白ティーと決めてやっているが、短いから出るのだという人もいるので時々こうして挑戦。今回も、人は私のことを怪物だといってくれているので、(怪物らしく)期待にこたえようとバックティーから挑戦することにした」というのだ。旺盛な闘志の持ち主、頑固なまでの闘争心。
 結果は、田中さんインスタートのミドルホールをいきなり8と最悪の出だしで92。「今日は気負ってしまった。謙虚さを忘れて色気を出してしまった」と反省した。カントリーではこれまで60回のエージシュートを記録しており数々の良い思い出がいっぱいだ。コースの選手権競技ではバックから70台をマーク、ベスグロ優勝でエージシュートという快挙もしばしば。クラブ対抗の代表にも2度も選出された。確かに気負い過ぎだったようだ。東京よみうりでは18年6月に300回目を記録、今年に入ってエージシュートは冬場で最多の23回も出していたが、過去は過去。実績は何の足しにもならない。ゴルフはこれがあるから難しい。

 

 だが、名人の名誉のためにこんな事実をお伝えしておこう。最終18番の最難関名物ホール、244ヤードのパー3をこの日、ピン下6メートルにワンオンさせた。使用クラブはドライバー。低いフェードで見事だった。「カントリーで18年間やってバックからワンオンしたのは3、4回しかない。打ち方が良くなっているのです」会心のショットに手ごたえがあった。400回を視野に自信を深めた瞬間だった。

 

 名人は失敗を糧に快挙につなげた。翌26日、得意コースのよみうりGCを43、36の79で399回目、そして1日置いた28日の400回へと一気に突っ走ったのだった。
 「バックから回ったり、ラウンドをほぼ毎日続けたり、努力する材料を見つけては気力を奮い立たせている。ゴルフが悪いとトシだと逃げてしまうからハートを強く持ち努力する材料を常に持ってやっている」という。こんなこともいう。「人が頑張れと励ましてくれると嬉しいものだ。自分では信じられないで戸惑っているのだが、だれがやるかといわれたらやる人がやらないといけない。やっぱり俺のことだ、この仕事はと思っている」―
 3月3日、名人は84歳になった。将来を促したら「今年中に500回が出そう。8月か9月には、いくのじゃないでしょうか」と笑顔が返ってきた。遅くとも9月にエージシュートは500回、その心は?「84歳になってハンデが一つ上がった。ゴルフの調子がこんなにいいのにハンデをもらったのだからエージシュートが増えるのは当然でしょう。ゴルフの神様が応援にまわってくれたのだから頑張ります」といった。神頼みならぬ神のバックアップを味方の半年間。目を離せなくなった。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。84歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。