田中さんのハンデキャップが6になった。東京よみうりカントリークラブのハンデキャップ委員会は3月末、新年度の委員会でハンデ改正を行い、これまで8だった田中さんのハンデを6とした。メンバーシップコースのハンデはあくまでプライベートなもので外部に開示するものではないが、事情が事情なのでここに取り上げた。
ゴルフだけにあるハンデキャップ制度。シングルハンデはゴルファーの夢。そしてステータス。ゴルフに真正面から取り組み識見を持ち研鑽を惜しまずたどりつく最高峰。田中さんなら当然と思うかもしれないが、今回だけはさらりと聞き流すわけにはいかない、それが事情である。
その事情とは田中さんが84歳である、ということだ。84歳が8だったハンデを6にした。たった2つのことに騒ぐな、というなかれ。老年を迎えると歳を重ねるにつれゴルフの成長が止まるのがこの競技。あり得ないことがおこったのである。
皆さんの周りで、ゴルファーは多いだろうが、ハンデ6、という人が何人いらっしゃいますか?そうめったにいないはず。トップアマなら日本アマ選手権の予選会に出場しようか、というレベルである。
さらにもうひとつの事情もある。田中さんはこの委員会の委員長であることだ。84歳の委員長のハンデが8だったことに驚くが、さらにここで一気に2つもハンデがよくなった。委員長はどちらかというと名誉職だが、現役のバリバリだったことをここに証明して異色である。もうこれは奇跡というしかない。
その経緯が愉快だ。3月17日、ハンデキャップ委員会に先立ち、フルバックから競技会形式のラウンドを行うのも恒例だが、田中競技委員長はアウト39,イン41の80でさらりと回った。するとこの日、そのスコアを上回ったものはなし,タイスコアが一人だけのベストスコアだった。そのためホールアウト後の会議のハンデ査定では田中委員長のハンデを8から6にすべく、緊急動議がなされたのだった。これもまた異例のことだったという。
ただし委員会はもめた。当の委員長である田中さんが「はいそうですかと受けるわけにはいかない」と納得しなかったのだそうだ。無理もない。過去に一気に2つもハンデをあげることは滅多になかったからだ。「そんなことをしたら私が委員長の職権を乱用したといわれる。やめていただきたい」と委員長。だが、委員たちは“ゴルフのうますぎる委員長”を許さなかった。
本人の驚きの声を聞こう。「60歳の時ハンデ6だったが、81歳までに12にさがり、その後、エージシュートに刺激を受け頑張ったら8までいった。確かに年齢を重ね技量が落ちながら、ここにきてまた上がったことはすごいと感じてはいたが、それがこうしてハンデに跳ね返ってくるとは思いませんでした」
シングルプレーヤーのハンデは1つしか上げない、というのが慣例だというから異例だった。昨シーズンは倶楽部対抗代表に10年ぶり選考された。70台のスコアはここにきて最も多い年だった。何より、バックティーから打つ競技の好スコアが目立ってみんなを驚かせた。委員たちは委員長のそうした頑張りと成長ぶりをしっかりと見届け、評価していた。総意が快挙を後押ししたのだった。
「エージシュートという目的があるので、技術的にも精神的にも我慢していれば結果につながると、やってくることができた。どうしたらミスしないか、色々と考えてやっていると色々なものが見えてきた」といった。本心は飛び上がりたいほど嬉しかったに違いない。「富士山の5合目に来たら、下から見てわからなかったことが見えるように、ゴルフの色々がまた見えて元気をもらった」活力を得て、一層、若返って見えた。また楽しみが増えた。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。84歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。