織田信長ゆかりの地でアマ織田信亮が優勝! でも「好きな戦国武将は真田幸村」


岐阜オープンで優勝したアマチュアの織田信亮(中央)。父・信久さんと母・万左枝さんと喜びを分かち合った

岐阜オープンで優勝したアマチュアの織田信亮(中央)。父・信久さんと母・万左枝さんと喜びを分かち合った

 ◆男子ゴルフツアー外競技岐阜オープン 最終日(14日、岐阜・各務原CC=6917ヤード、パー72)

 2日間競技の最終日が行われ、首位からスタートしたアマチュアの織田信亮(のぶあき、19)=福井工大2年=が6バーディー、1ボギー、1ダブルボギーの69で回り、通算9アンダーで優勝した。戦国武将の織田信長、信長の末裔(まつえい)と言われる2010年バンクーバー五輪男子フィギュアスケート7位の織田信成さん(32)と血縁関係はないが、織田信長ゆかりの岐阜で19歳の“若武者”が歴戦のプロを相手に勝利した。今大会では1984年の第1回を制した小野義明以来、35年ぶりの2人目のアマ王者となった。

 1打差の2位は比嘉拓也(31)=TOSHIN=。2打差の3位に宮本勝昌(46)=ハートンホテル=らが続いた。

 前回大会覇者の石川遼(27)=カシオ=は第1日に74と崩れ、64位で、カットラインに1打及ばず予選落ちした。

 織田信亮が“各務原の戦い”を制した。第1日から首位を快走していたアマチュアの織田は16番パー4で3パットのボギーをたたき、比嘉拓に首位を譲ったが、ここから抜群の勝負強さを見せた。17番パー4では左手前カラーから5メートルのバーディーチャンスを決めて、再び首位タイに。18番パー5では残り250ヤードから2アイアンで放った第2打は大きく右に曲がったが、第3打のアプローチをピン手前1・5メートルに寄せると、ウィニングパットをど真ん中からねじ込んだ。

 「18番の第2打はプレッシャーでハーフシャンクのようなミスが出てしまった。でも、右崖下まで落ちたと思ったら、ラフに残っていた。『ラッキー!』と思って気持ちが自然に切り替わった。ウィニングパットは打つ前は手が震えていたけど、構えたら、震えが止まって思った通りに手が動きました」

 19歳の学生は充実の表情で勝負の18番ホールを振り返った。

 織田信亮。インパクトがある名前を持つ。

 この日、18ホールを歩いて見守った父・信久さん(56)は「織田信長の子孫というわけではないんですが、何代か前から『信』がつく名前が多いですね。私も織田信長と三国志の諸葛亮孔明が好きだったので、息子を信亮と名付けました」と説明した。

 織田信亮がアマチュア優勝の快挙を成し遂げた場所は、まさに織田信長のゆかりの地。信長が「岐阜」と命名し、金華山の岐阜城を拠点に天下統一を目指したと言われている。現在、岐阜駅前には黄金の信長像が堂々と建っている。「歴史が好きなので岐阜が信長ゆかりの地ということはもちろん知っています。岐阜城に行ったこともありますよ。織田信長も好きですけど、一番好きな戦国武将は真田信繁です。広くは幸村と呼ばれていますが」と織田信亮は笑顔で話した。

 同じアマチュアの金谷拓実(20)=東北福祉大3年=が、世界最高峰のマスターズで大健闘していることも大きな刺激になった。「スタート前に金谷さんが3日目に68で回ったと知りました。さすが、と思いました。今は別次元ですが、いつかは金谷さんに勝ちたいし、僕もマスターズに出場したい」と織田信亮はきっぱりと話した。

 実は、この日は母方の祖父・近藤光男(てるお)さんと父方の祖母・織田洋子さんの命日だった。「祖父は7年前、祖母は6年前に亡くなってしまったけど、いつも応援してくれていました。きょうも応援してくれていたと思います」と感慨深い表情で話した。

 現在、福井工大2年だが、大学側と話し合い、今年、プロテストを受けることが決まっている。「この優勝はプロテストに向けて大きな弾みになった。きょう、僕のプレーを見てくれたギャラリーの方々が1人でもファンになってくれたらうれしい。将来は日本ツアーの賞金王になって世界4大メジャーで勝つことが目標です」と堂々と話した。

 プロテストは5月中旬からプレ予選が始まる。その前にはアマチュアとしてプロツアーの中日クラウンズ(5月2~5日、愛知・名古屋GC和合C)に参戦する。「また、上位を狙っていきたいです」と臆せずに話す。“天下統一”へ織田信亮の本当の戦いは、これから始まる。

 ◆織田 信亮(おだ・のぶあき)1999年10月26日、福井市生まれ。19歳。3歳からゴルフを始める。18年、福井工大福井高から福井工大に進学。今年、プロ転向の予定。ドライバーの平均飛距離は290ヤード。170センチ、80キロ。

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