驚異のエージシューター田中菊雄の世界122 武藤一彦のコラム


 エージシュートは3月1日現在、522回を数えた。
初エージシュートは、2006年8月、71歳のとき、静岡・富士国際富士コースを34,36の70で回った。「人生で、最初で最後だと舞い上がったが、2回目が73歳の08年7月、3回目が9月と相次ぎ、78歳では16回、79歳、28回と加齢とともに増えた。スポーツは歳と共に体力が衰え成績は下降するものだが、結果がでるから面白くてやめられなくなり、記録がのび、生きがいになった。」と振り返った。
 100回目は79歳と10か月、200回は82歳だった。そして、300回は83歳と3か月の時だった。勢いとは恐ろしい、400回は84歳の誕生日を3日後に控えた83歳時の2月28日にぎりぎり到達した。この年だけで、300回と400回の節目をしっかりと刻んでいる。
 記念すべき500回は昨年11月27日。日本ツアー最終戦、ゴルフ日本シリーズJTカップ前週の東京よみうりCCを82で回った。恒例の大コンペでグロス3番目の好スコア、いつも通り、現役の若者に混じってのエージシュートだった。

 

 ゴルフ仲間の前嶋喜義さんは1回目のエージシュートの時、一緒に回ったのが縁で以来、お祝いのコンペをすべて仕切っている。仕事仲間でもあり、その足取りをしっかりと見届けて貴重な語り部だ。
 「だいたいこういうものは一生に1回あるかどうだけど、田中さんには限界というものがない。300回達成の時には“もうお祝いコンペはやめようよ、とご自分で言いだしたので、周囲が、そうはいかない、と止めたことがあった」というエピソードを明かす。やめるわけにはいかないでしょう、というのが当然の意見でこんな折衷案が出たそうだ。
 田中さんとは同じ島根県出身でゴルフ仲間、元国税庁長官、横浜銀行頭取を歴任した寺澤辰麿さんだ。「古来、子供の七五三を祝う日本の習慣にならい、300回、500回、そして700回とやったらいいのでは」という意見が満場一致で採用となった。
 そんなわけで500回目の記念コンペは4月の上旬開催と決め発起人としてその準備に入った前澤さんだったが、そんな折りである、新型肺炎コロナウイルス騒ぎである。女子プロの開幕戦のダイキンオーキッドが今季開催を取り辞め他のスポーツイベントも無観客開催が実施されスポーツ界はてんやわんやしている。さてどうなるのだろう。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。84歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。