鮮明に目に焼きついている光景がある。2017年8月10日から4日間行われた、男子ゴルフメジャー最終戦の全米プロ選手権(ノースカロライナ州クウェイルホローC)。最終日10番で単独首位、11番まで首位タイと最後まで優勝を争った松山英樹(当時25)がテレビインタビュー後、タオルで顔を覆ってしゃがみ込んだ。普段は感情を表さない男が泣いていた。
結果は3打差5位。同年の全米オープンで4打差の2位はあるが、日本男子で最もメジャー優勝に近づいたのがこの試合だった。前週のブリヂストン招待で最終日に自己最少の61をマークし、5打差圧勝で米ツアー5勝目を飾った。練習場では次々に祝福を受け、ツアー公式サイトの優勝予想では1位に推された。
第2日に64を出して首位に立つと、会見で大勢の米メディアを前に「最終日にここ(優勝会見)に立っていたら、日本男子ゴルフの状況が変わると思う」と言った。グリーンマイル(死刑台への道)と呼ばれる終盤の難ホールでスーパーショットを放てば米国人ギャラリーから「ゴー、ヒデキ」と大声援を受けた。
だが最終日、当時松山とともに勢いある若手として注目されたジャスティン・トーマス(米国)との2サムのラウンドでは雰囲気が一変。10番、トーマスのバーディーパットはカップの縁に止まったが、ルール時間ぎりぎりの約10秒後に落ちると地鳴りのような歓声が響いた。松山は続く11番、フェアウェーからの第2打を右ラフに外し、「難しくない状況からミスをして悪くなる原因を作った」と、ここからの3連続ボギーを悔いた。
13番でトーマスがチップインバーディーを決め、優勝に近づくと、自国びいきの観客はビールを手に「JT(トーマスの愛称)」「USA!」とお祭り騒ぎ。松山は14、15番の連続バーディーで1打差に迫るが、難所の16番でパーパットがカップに蹴られ勝負あり。メジャー初取材の記者は、完全アウェーで戦った松山の鬼気迫る表情を今でも思い出す。そして冒頭の場面。「ここまで来た人は何人もいる。そこを超えるために何をしなければいけないのか…。乗り越えられるように」と言葉をつないだ。
あれから3年近くが過ぎた。松山が直接的に大会を振り返ったことはない。昨年末のインタビューでは「(20年は)自分に期待している。2年半も勝ってないから、勝ちたい願望が強すぎて、そういう言葉になるのかもしれないけど…」と、他ならぬ自身が米ツアー7季目の活躍を心待ちにした。歴史があり、高額賞金で難セッティング、世界中のトップ選手が調子を合わせるのが年4回しかないメジャー。日本のエースは悔し涙を糧に挑み続ける。(岩原 正幸)
◆松山の17年全米プロ 第1Rは15メートル以上のロングパットを2度沈めるなど1アンダーの70で首位と3打差の15位発進。第2Rはベストスコア64で首位タイに浮上した。第3Rは酷暑の中、73で1打差2位に後退。最終Rは前半に1つ伸ばしたが、後半に3バーディー、5ボギーとスコアを落とし72。通算5アンダーで優勝したトーマスに3打及ばず5位。直後の世界ランクで日本男子最高の2位に返り咲いた。
◆松山 英樹(まつやま・ひでき)1992年2月25日、愛媛・松山市生まれ。28歳。4歳からゴルフを始め、東北福祉大2年時の2011年三井住友VISA太平洋マスターズで日本ツアー3人目のアマ優勝。プロ転向した13年にツアー史上初のルーキー賞金王に。日本ツアー8勝。米ツアー5勝。17年全米オープンで日本男子メジャー最高タイの2位。現在世界ランク22位。181センチ、88キロ。家族は妻と1女。
◆岩原 正幸(いわはら・まさゆき)1982年3月10日、横浜市生まれ。38歳。青学大卒。2004年入社。野球、サッカーなどを取材。販売局を経て、17年からゴルフ担当。