【2007年5月20日】石川遼15歳でプロツアー初出場初優勝 その後に待っていた怒濤の日々


石川遼からプレゼントされたオリジナルヘッドカバー

石川遼からプレゼントされたオリジナルヘッドカバー

 ◆男子プロゴルフツアー 2007年マンシングウェアKSBカップ(岡山・東児が丘マリンヒルズGC)

 あの日、私は女子ツアーの中京テレビ・ブリヂストンオープンの会場にいた。優勝した横峯さくらの取材を終えてプレスルームに戻ると、会社から電話がかかってきた。

 「石川遼って知ってる?」

 全く知らない。「誰ですか?」と聞き返すと、デスクは興奮気味に「とにかくテレビを見てくれ」と言って電話を切った。

 テレビには、男子ツアー初出場で優勝争いをしていた15歳が映っていた。他社の記者と「どうせ最後に落ちてくるよねえ」と、のんきに見ていたが、まさかの優勝。その日から、私を含めたゴルフ担当3人の日常が一変した。

 会社から「遼が出る試合は、どこに行ってもいい」と密着マークを命じられ、練習ラウンドから18ホールを歩いた。普通の選手の練習(プロアマ含む)は火曜、水曜だが、元気があり余っている石川は毎週月曜の朝からラウンド。日没まで練習することも多く、連日ヘロヘロになりながら食らいついた。

 ただ、取材はとても楽しかった。世間で話題になっていることに関して“ご意見番”のようにムチャな質問をしても、機転の利く答えが返ってきた。09年末に鳩山由紀夫首相(当時)から表彰されたが、献金問題の釈明会見から一夜明けという最悪のタイミング。他社の記者から「首相の今の状況は『ハザード』ですか?」というデリカシーのない質問が飛んだ。しかし「林に曲げる(献金問題のたとえ)と『ピンを狙え』とか『出すだけにしろ』とかいろんな声がギャラリーから聞こえてくる。首相は国民の声を聞かなきゃならないから難しい。これからも頑張っていたただきたい」と、さわやかにエールを送った。とにかく頭の回転が速い。そして優しい。

 オフの12月には毎年、担当記者との懇親コンペを開いてくれた。担当を離れることになった10年、表彰式で「岩崎さん、お世話になりました。新しい担当でも頑張ってください」と、サイン色紙とヘッドカバーを渡してくれた。もちろん大切な宝物。最高の思い出とともに、今でも使わせてもらってます。(前ゴルフ担当・岩崎敦)

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