◆男子プロゴルフツアー ダンロップフェニックス最終日(22日、宮崎・フェニックスCC=7042ヤード、パー71)
“大物ルーキー”金谷拓実(22)=東北福祉大4年=がプロ初優勝を飾った。1打差3位で出て3バーディー、1ボギーの69で回り、通算13アンダーで並んだ石坂友宏(21)=日本ウェルネススポーツ大3年=とのプレーオフ(PO)を4ホール(H)目で制した。昨年の三井住友VISA太平洋マスターズで史上4人目のアマチュア優勝を飾って以来の通算2勝目。プロ転向3戦目の初Vは、日本人では13年松山英樹の2戦目に次ぐ2番目のスピード記録となった。
金谷はPO4H目、グリーン左10ヤードからロブショットで30センチに寄せると、バーディーパットを沈め両手でガッツポーズした。若武者2人による、手に汗握る1時間以上に及ぶ死闘に終止符を打ち「すごい試合だったのでとっさに出た。同年代と優勝を争うとは思わなかった」。大学生、新人同士のPOは99年日本ゴルフツアー機構発足後、ともに初めてだった。
12番でトップの石坂と3打差。それでも「最後まで諦めず」に15、16番で伸ばし、勝負はPOへ。3H目は2メートル強のバーディーパットを沈め、土俵際の粘りを勝利につなげた。「やっぱり2勝目をすぐにしたいと思っていた。1勝だけでは本当の力だと思われないので、それ(力)を証明したかった」と誇らしげだった。
10月のプロ転向後3戦目の初Vは、日本人では松山の2戦目に次ぐ2位のスピード記録だ。「プロ転向した時は自分が通用するのか不安もあった。上位でプレーできて少しずつ自信もついた。こうして3戦目で優勝できて自信が確信に変わりつつある」と“松坂大輔ばり”に強気にコメントした。
22歳183日で、14年松山の日本人大会最年少優勝も更新した。東北福祉大の先輩を追いかけ、海外志向を持つ大学生ルーキーは「尊敬する松山選手と同じ試合で優勝できてうれしい」。大会のPO決着も、14年以来6年ぶりだった。
4日間通じてフェアウェーキープ率57%(24位)とショットが本調子でない中、生命線のショートゲームでしのいだ。17年から4年近く在籍したナショナルチームではアプローチ、パット練習に全体の65%を割いた。「スコアをつくる上で大事なところ。ずっと練習してきた成果が出た」。勝負どころで小技が光った。
「優勝して出たい」と口にしていた、今年最終戦のメジャー・日本シリーズJTカップ(12月3日開幕・東京よみうりCC、報知新聞社主催)の初出場も有言実行でつかんだ。「しっかり準備して優勝できるように」。20―21シーズンで賞金ランクは3位に浮上した。「賞金王を目指してやっている。一試合一試合、自分らしいプレーで優勝を目指したい」。落ち着き払った雰囲気が、さらなる飛躍を予感させた。(岩原 正幸)
◆松坂大輔の「確信」発言 1999年5月16日、西武ドームで行われた西武―オリックス戦で、西武先発・松坂が当時18歳のルーキーながら8回3安打13奪三振の快投で3勝目。5年連続首位打者のイチローを3連続三振に切り、「(プロとして)自信から確信に変わりました」と大胆発言が飛び出した。この年、松坂は16勝を挙げ、高卒新人では54年の宅和(南海)以来、45年ぶり2人目の最多勝を獲得する活躍を見せた。
◆金谷拓実(かなや・たくみ)アラカルト
▼生まれとサイズ 1998年5月23日、広島・呉市生まれ。22歳。172センチ、73キロ。家族は両親と兄。
▼ゴルフ歴 5歳で始め、広島国際学院高2年の日本アマ選手権で17歳51日の大会最年少V。同年の日本オープン11位で大会最年少ベストアマ、2017年同大会も2位でベストアマ獲得。東北福祉大ゴルフ部主将。
▼海外経験豊富 18年アジア・パシフィック選手権で優勝。19年のメジャーのマスターズで58位、全英オープンは予選落ち。19年8月、日本男子では松山以来2人目の世界アマランク1位に。
▼後輩と転戦 ツアーに推薦出場する大学の後輩と行動し「先週(三井住友VISA―)は一緒にご飯に行っていたので自分が払った。なんかプロっぽいな(笑い)」。
◆金谷が達成した記録
▼プロ転向3戦目の優勝 13年つるやオープンの松山英樹の2戦目に続き日本人で2番目。最短は16年の関西オープンの趙炳旻(韓国)の1戦目。
▼22歳183日での大会優勝 14年覇者、松山英樹の22歳271日の日本人大会最年少優勝を更新。大会最年少Vは77年セベ・バレステロス(スペイン)で20歳232日。