伊集院静氏 星灯りの下のパター音…松山英樹マスターズ初優勝で特別寄稿


◆米男子プロゴルフツアー メジャー21年初戦マスターズ最終日(11日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)

 本当に嬉しい春盛りの勝利である。

 十年間待ち続けたオーガスタの18番ホールにむかう勝利の道を一人の日本人プレーヤーが堂々と歩いていた。

 去年は最強と呼ばれたD・ジョンソンが、一昨年は奇跡のカムバックをしたタイガー・ウッズが赤い勝負服で歓喜の拍手の中を登った。そして今朝(4月12日、日本時間)、黄色のシャツにブルーのパンツで、まるでこれから着るグリーンジャケットに映えるようなウェアーで日本人の青年がオーガスタのパトロンの拍手の中を堂々と歩いている。素晴らしい時間である。

「こんなことが現実に起こるなんて」と解説者の中嶋常幸が昂揚した声で言っていた。私も同感だった。

「何と美しい姿をした若きゴルファーだ」

 勝ったから美しく見えるのか。そうではない。多くのゴルフファンは知っているのだ。この間にオーガスタでローアマの名誉を獲得し、勇躍乗り込んだアメリカ本土で、若者は世界で最高峰のプロたちの厳しい洗礼と容赦ない仕打ちを受け、マスターズの舞台では、敗北に敗北を重ねた。やがて大勢の日本人プレーヤーが帰国した。それでも若者はたった一人、マスターズの舞台を目指して、一人修練を続けた。敗れたコースで、皆が立ち去った後も、一人でパターを打ち続けた。星の灯りだけが、彼の口惜しさと歯ぎしりを、見つめ、聞いていた。PGAツアーでも彼の異様な練習振りは有名だった。「練習のやり過ぎだ」「だから勝てないのだ」厳しいアメリカのゴルフマスコミの批判も、彼は練習だけが自分のゴルフを完成させる道と信じて打ち続けた。ゴルフに神様がいたら、そんな彼の姿を神様は見ていたのかもしれない。球聖ボビー・ジョーンズは言った。「どんなに秀れたコーチより、ゴルフの最高のコーチは練習だ」まさにそれを実践したのである。

 私は去年、生死の境を彷徨する大病を患い、運の良いことに手術は成功し、術後のリハビリテーションに耐える日々が続いた。そんな中で自宅のある仙台のゴルフ練習場にいた時、身体の大きい青年から挨拶を受けた。

「ご無沙汰しています。お元気で何よりです」

 松山英樹さんだった。驚いた。なぜ、ここに?彼は結婚し、新妻と子宝に恵まれ、家族のコロナ感染を封じるために仙台を訪れていた。

「そうかね。夫になり、父親になりましたか。それは重責だし、皆のために懸命に生きなくてはいけないね」

「はい、そうします」

 そうします、とは私にとってマスターズの勝利を意味した。私はその日、家に帰ると、「今日、松山英樹君に逢った。結婚をしたそうだ。明るくて自信にあふれて、まぶしいほどだった。英樹君、マスターズを獲るぞ」

「それは素晴らしいですね。同じHIDEKIさんのヤンキースの松井君のワールドシリーズのMVPに似ていますね」

「ああ、本当だね。同じHIDEKIだね」

 私は何やら嬉しくなった。病魔と闘って追いやろうと決めた。それから一年半が過ぎ、松山英樹さんはとうとう栄冠を勝ち獲った。東北大震災の時もそうだ。今コロナで大変な日本人に、マスターズの勝利は素晴らしい贈り物だった。おめでとう。ありがとう。

 ◆伊集院 静(いじゅういん・しずか)1950年2月9日、山口県生まれ。71歳。立教大卒。CMディレクターから81年、小説「皐月」で作家デビュー。92年「受け月」で直木賞受賞。代表作は他に「乳房」「機関車先生」「海峡」三部作など。作詞家としても近藤真彦「愚か者」などで知られる。防府高(山口)から大学まで野球部に所属。元巨人でヤンキースGM特別アドバイザーの松井秀喜氏とも親交が深い。宮城・仙台に在住し、11年の東日本大震災で被災した。

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