松山英樹「金メダル争いできる選手になっていたい」9年越しの有言実行へ …担当記者が見た


18番、ホールアウトした松山英樹。初日は2アンダーで終えた(カメラ・相川 和寛)

18番、ホールアウトした松山英樹。初日は2アンダーで終えた(カメラ・相川 和寛)

◆東京五輪 男子ゴルフ 第1日(29日、埼玉・霞ケ関CC=7447ヤード、パー71)

 4月のマスターズで日本男子初のメジャー制覇を成し遂げた初出場の松山英樹(29)=LEXUS=が4バーディー、2ボギーの69をマーク。首位と6打差の2アンダー、20位で滑り出した。初出場の星野陸也(25)=フリー=はイーブンパー、71で41位発進となった。63をマークしたシュトラカ(オーストリア)が8アンダーの単独首位。雷雲接近のため、約2時間半中断した。35か国・地域60選手が4日間72ホールで争い、予選落ちはない。

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 松山は“9年越しの有言実行”でこの日を迎えた。13年9月8日。国際オリンピック委員会の総会で20年東京五輪招致が決定した。その日、プロ1年目だった松山は日本ツアーで4勝目を挙げた。「自分が28歳になった姿は想像できない。一日、一日を大切に過ごして、金メダル争いをできる選手になっていたい。霞ケ関CCですからぜひ出たい」と大学生プロは優勝会見で力強く語っていた。

 同大会表彰式のプレゼンターは、98年長野五輪スピードスケート女子500メートル銅メダルの岡崎朋美さんだった。優勝ジャケットを着せてもらい「ぜひ頑張って」と、五輪5大会出場のスケート界のレジェンドからバトンを受け取った。それから8年で米ツアー日本男子最多6勝。今年4月のマスターズで日本人初のメジャーVを成し遂げ、金メダル有力候補として東京五輪の舞台に立った。

 7月初めに新型コロナに感染した。10日間静養し、練習もできず。それでも「五輪欠場」の言葉を本人は一度も発しなかったという。酷暑の中での苦しい戦いは始めから覚悟の上だ。「メダルを獲得して、たくさんの方々にゴルフの素晴らしさを知ってほしい」。日本人ゴルファー&マスターズ王者初の五輪メダル獲得に強い気持ちで挑む。(ゴルフ担当・榎本 友一)

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