ゴルファーの夢は、シングルハンデのプレーヤーになること。一生のうちで一度はホールインワンをすること。そして、年をとったらエージシューターになることの3つだそうである。
ゴルフに取りつかれ、その面白さにはまると、技術を磨きシングルを目指す。その成長過程を楽しむのもゴルフの魅力だ。コースに出る機会が増えればホールインワンは運しだい、人生で一度はやってみたいと思うのは自然の欲求なのであろう。かなりの数のゴルファーがゴルフ保険に入っているというのは、その偶然にかける期待感の表れのようだ。事実、このシングルプレーヤーとホールインワン達成者が形成するゴルファー層は全ゴルファーの2割から3割くらい?かなりの数に上っている。そうした中、年をとってもできるゴルフ。高齢化社会で健康が叫ばれるなか、エージシュートの存在が叫ばれるこの頃、エージシュートは究極の国民スポーツへと広がり始めている。
ゴルファーはシングルプレーヤーを目指しストイックな道を目指す。シングルハンデ入りを目指し、ひたむきに努力し夢に向かって突き進む。そして、エージシュートである。健康な人生を全うするためにゴルファーは年をとるほど元気になる強さを持つ超人でなければならない。時代は後期高齢化社会へ。人生は80年が当たり前、100年時代はもうすぐそこ、といわれている。ゴルフ界がエージシュート時代を迎えたというのも、あながち先走りすぎといえない時代なのである。例えばこんな世界をのぞいてみるのがいいだろう。
中村寅吉は1957年、日本で初めて開催されたゴルフの国際競技、カナダカップで個人、団体で優勝 、日本にゴルフブームを巻き起こした歴史のヒーローだが、その24年後の1981年にも世界をあっといわせた。
関東プロシニア選手権は同年4月15日、群馬県の鳳凰GC(6665メートル、パー72)で行われ、1番パー5をイーグルスタートした中村は、以後、7バーディー、2ボギーの7アンダー65でホールアウトした。この時、寅さん65歳、なんと日本プロツアー初のエージシュートの誕生だった。
それもプロ競技の世界記録、米ツアーのスター選手、サム・スニード(米)がその3年前の米ツアー、クオードシティ・オープンに67歳で出場、66を出し、これが米ツアー競技の初めてのエージシュート記録。このスニードに負けじと、寅さんは年齢と同じ65を出したから大快挙。関東プロシニアは公式戦としては世界初、しかも最年少エージシュートシュートの世界記録という大快挙だった。日本ゴルフ界は大はしゃぎしたのだった。そして、この記録は現在も日本プロゴルフ競技のエージシュート記録の第1号として燦然と歴史のトップを飾り83年、87年にもエージシュートを達成するなど生涯で7回のエージシュート達成と輝かしい戦歴を打ち立てている。ただしこの時代、エージシュートはアマチュアのシニア競技などでは70歳代のゴルファーがクラブ競技で出すなどアマ先行。埼玉・霞ヶ関CCの倉重清久氏は85歳までにエージシュートを61回マークしたという記録がある。ゴルフ競技は初めにアマありき、後発のプロの立ち遅れは仕方がない。ことはエージシュートの問題、後発の若いプロたちで形成された“競技”だ、仕方がない。
ともあれ、寅さん以降、昨年2022年までに生まれたエージシュートは42年間で延べ約715回(男子のみ)。昨今のエージシュート回数はアマチュアからプロゴルフ界にシフトしけん引している。その華麗な世界はこの先、おいおい報告しますのでご期待ください。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。88歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。