笹生優花 東京五輪フィリピン代表からあるぞパリ日本代表 二重国籍21年11月に日本選択…担当記者が見た


東京五輪はフィリピン代表で出場した笹生優花

東京五輪はフィリピン代表で出場した笹生優花

 米女子プロゴルフツアーのメジャー第4戦エビアン選手権(フランス・エビアンリゾートGC)で、笹生優花(22)=フリー=が2013年のメジャー昇格後では日本人最高に並ぶ3位に入った。日本女子3人目のメジャー制覇を飾った21年全米女子オープン後は苦しい時期が続いていたが、2位だった6月の全米女子プロ選手権に続く好成績。世界ランクは日本勢4番手に浮上し、来年のパリ五輪代表入りも見えてきた。完全復調への気配と愛すべき人柄を、ゴルフ担当の高木恵記者が「見た」。

 笹生が6月の全米女子プロ選手権に続き、メジャーの頂点に迫った。「楽しく1週間を終えられた。いい1週間だった」と笑顔に実感を込めた。21年の全米女子オープン優勝後は苦しい時期が続いていた。今季は4戦連続の予選落ちも経験したが、この2か月は復調モードに入っている。

 抜群の飛距離を誇る一方で小技に不安を残し、大崩れする場面もあったが、ショートゲームを強化。6月初旬のみずほアメリカズ・オープンから使用する操作性の高い一枚の板のような構造のマッスルバックタイプのアイアンもマッチした。「気持ちをコントロールするのは難しい。緊張をどう受け入れるかが大事」と話す精神の成長。全米女子プロ選手権では最終日に猛追し1打差2位に食い込んだ。

 笹生を取材するのは今大会が初めてだった。ダイナミックなゴルフと、愛すべき天然キャラ。魅力の塊だった。ラウンド後の囲み取材で、記者から「どうラインを読んだ?」と聞かれた時のことだった。「普通にしゃがんで」と、グリーン上でそうしたように、実際にしゃがんでラインを読むポーズを取った。沈黙を察し、慌てて「あ、スライスです」と付け加えた。

 20年全米女子オープンで左手首、21年のAIG全英女子オープンでは首を痛めた経験がある。22年から移動が多い米ツアーに主戦場を移し、プレーを続けてきた。父・正和さんの勧めもあり、4月から宿谷あやめトレーナーが帯同。以前は「マッサージはくすぐったい」と苦手にしていた笹生だが、体の状態を整えコースに出ることができている。

 10日に開幕するメジャー最終戦AIG全英女子オープン(ウォルトンヒースGC)へ、今週は英国で調整に励んでいる。「メジャーは特別。シーズンの中で一番大事に思っている試合はメジャー」と力を込めた22歳は今、心技体の充実期を迎えている。

 ◆国際ゴルフ連盟「出場は可能」

 日本とフィリピンの二重国籍を保持していた笹生は、21年東京五輪に母の母国・フィリピン代表で出場し、9位となった。その後、20歳だった同年11月に日本国籍を選択。ゴルフの代表選手が国籍を変更した場合、最後に出場した大会から4年たたないと新しい国の代表になれないというルールがある。ところが、関係者によると、日本ゴルフ協会には既に国際ゴルフ連盟から「笹生選手の日本代表としてのパリ五輪出場は可能」などとの文書が届いたという。今季の好成績もあり、7月31日付の世界ランクは日本女子4番手の24位まで浮上。笹生自身は、パリ五輪について今年3月「出られるチャンスがあれば出たい」などと話しており来夏、極めて異例な異なる国代表での2大会連続五輪出場の可能性が膨らんできた。

 ◆女子ゴルフのパリ五輪への道 24年6月24日時点の世界ランクを基準に算定する五輪ポイント上位60人が出場権を得る。〈1〉同ランク15位以内は各国・地域で最大4人〈2〉16位以下は〈1〉の有資格者を含めて最大2人が出られる。大会は24年8月7日から4日間、フランス・ル・ゴルフナショナルで、72ホールストロークプレーの個人戦で争われる。21年東京五輪では稲見萌寧が銀メダルを獲得した。

 ◆笹生 優花(さそう・ゆうか)2001年6月20日、フィリピンで日本人の父・正和さんと、フィリピン人の母・フリッツィさんの間に生まれる。22歳。代々木高卒。5歳から4年間は日本に滞在し、8歳の時、フィリピンでゴルフを始める。19年にプロ転向し、20年8月のNEC軽井沢72で日本ツアー初優勝。日米通算3勝。フィリピン代表として出場した21年東京五輪は9位。日本語、英語、タガログ語が堪能。166センチ、63キロ。

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