【JTカップ】小木曽喬が負けられなかった理由「後輩を賞金王に」「父の前で、日本で」メジャー初V


メジャー初優勝を果たし、キャディーと抱き合って喜んだ小木曽(カメラ・今西 淳)

メジャー初優勝を果たし、キャディーと抱き合って喜んだ小木曽(カメラ・今西 淳)

◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー 25年シーズン最終戦 メジャー最終戦 日本シリーズJTカップ 最終日(7日、東京よみうりCC=7002ヤード、パー70)

 首位から出た小木曽喬(たかし、28)=フロンティアの介護=が1イーグル、4バーディー、1ボギーの65をマークし通算13アンダーで逃げ切り、初のメジャータイトルを最終戦で手にした。昨年6月の韓国でのハナ銀行招待以来となるツアー通算2勝目で、自身初の国内勝利となった。同郷で仲良しの金子駆大(こうた、23)の賞金王戴冠から刺激を受け、来季は子供の頃からの「夢」と明かしたキング取りに挑む。

 18番のすり鉢状のグリーンが、小木曽のためのステージと化した。短いウィニングパットを沈めると、小さくガッツポーズ。ギャラリーの歓声と拍手に包まれた。「こんなにビッグなタイトルを取れると思っていなかった。『うれしい』がめっちゃ強いけど、ビックリもある。最後にJTカップで勝てたのはご褒美」。プロ仲間からの冷たいウォーターシャワーを、まだ熱さの残る体とハートで受け止めた。

 6番パー5でグリーン右からチップインイーグルを奪い勢いづくと、単独首位で折り返した。12番はティーショットを左林に曲げるピンチに見舞われながら、4メートルのパーパットをねじ込んだ。「あのセーブが大きかった。苦しい時間もあったけどしっかり耐え抜けた」。直後の13番で残り133ヤードの第2打を2メートルにつけ、14番は117ヤードを1メートルにからめる連続バーディーで抜け出した。

 同じ名古屋出身の金子と仲が良い。10月に愛知で開催されたバンテリン東海クラシック期間中に金子の自宅でツアー4勝の浅地洋佑、小斉平優和の4人で食事をした。今季に入り、金子と小斉平がともに初優勝を挙げた。当時未勝利は小木曽だけ。「次は小木曽さんの番」と背中を押された。最終戦は金子に蝉川泰果、大岩龍一との賞金王争いがかかっていた。「自分が勝って駆大の賞金王を見るっていうのを2日目ぐらいから目標にやっていた。勝ててうれしい」と笑顔になった。

 男手一つで育ててくれた父・一(はじめ)さん(59)に恩返しの勝利を届けた。「今年はずっと、日本で勝ちたいと思ってやってきた。父の前で勝ててうれしかった」。韓国での優勝時、ラインを送った。「父の日なのを忘れていたけど、いいプレゼントになって良かった。これからも頑張ります」。一さんから届いた返事は「泣かせるな。いい勝ち方だった。今度は日本で俺のいる時にしてくれ。その時までうれし涙はとっとくぞ」。男同士の約束を果たした。

 子供の頃から「夢」を聞かれる度に「賞金王」と答えてきた。26年から国内男子ツアーはポイントランク制に移行する。最後の賞金王となった盟友の戴冠に刺激を受け、来季の初代ポイントランク1位の座を見据える。「実力を全部底上げしないといけない。全部のレベルを上げていけば、そこにたどりつくかなとは思う。まずは年間複数回優勝が目標」。メジャー覇者として迎える新シーズンへ、心を燃やした。(高木 恵)

 ◆小木曽に聞く

 ―最終18番の場面は後続に3打差で迎えた。

 「3打差だったら幸せに18番のグリーンに上がれるだろうと思っていたけど、全然余裕がなかった」

 ―優勝の瞬間。

 「初優勝のような感覚だった」

 ―同郷の金子の存在。

 「今年は三井住友VISA太平洋マスターズも勝って一気に上っていった。刺激はずっともらっている。後輩を賞金王にしたかったので、僕が勝ててうれしい」

 ―福井工大付福井中に3年生から転校し、全寮制での生活に。

 「単純にゴルフがうまくなりたかった。福井に行っていなかったら今こうして優勝することはなかった。友人もいなかったし、つらいことだらけだったので、メンタルも強くなった」

 ―海外挑戦は。

 「僕は日本ツアーが大好きなので、全くない。ただ、今回の優勝で3年シードを頂けたので、これから少しずつ思うようになるのかもしれない」

 ◆小木曽 喬(おぎそ・たかし)1997年3月19日、名古屋市生まれ。28歳。6歳からゴルフを始め、福井工大福井高3年時の2014年、当時日本人最年少の17歳115日で日本アマ優勝。15年に福井工大進学。同年12月にプロ転向。16年に下部ツアーで初優勝。23年は全試合で予選通過を果たし、初シードを獲得。24年に韓国開催の日本ツアー、ハナ銀行招待で初優勝し、同年の賞金ランク10位。178センチ、72キロ。

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