松山は日本の誇り!米男子ツアー挑戦の歴史変えた4打差大逆転


プレーオフを制して4勝目を挙げ、歓声に応える松山(ロイター)

 ◆米男子プロゴルフツアー フェニックス・オープン最終日(5日、米アリゾナ州TPCスコッツデール)

 松山英樹(24)=LEXUS=が、またも歴史的快挙だ。首位と4打差の3位から66で回り、通算17アンダーでウェブ・シンプソン(31)=米国=とのプレーオフ(PO)を制し大会連覇を果たした。丸山茂樹(47)を超え、日本男子で米ツアー単独最多4勝目、史上初の同一大会連覇と同一シーズン複数Vを成し遂げた。昨年10月から個人戦9戦5勝の快進撃で、海外メジャー初戦・マスターズ(4月6~9日・米ジョージア州オーガスタナショナルGC)の日本人初Vへ夢を膨らませる1勝となった。

 重圧を押し出すように、大きく息を吐いた。PO4ホール目、17番のバーディーパット。入れれば勝ちの松山は、約4メートルの距離を慎重に転がした。「HIDEKIー!」。現地ギャラリーの叫び声を背にボールの行方を見つめ、右拳をたたきつけんばかりに握りしめた。12年全米オープン覇者との一騎打ちを制し、日本勢単独最多となる4勝目。「そこに挑戦したのも僕だけ。丸山さんの3勝を早く超えたいと思っていたので、ここで超えることができてうれしい」。首痛を抱え、左手首にテーピングを巻く中での22ホール。前年と同じPO4ホール目で決着させ、疲労と緊張から開放された怪物は、穏やかに笑った。

 3番のスーパーイーグルで勢いに乗った。残り254ヤードの第2打をグリーン右奥の傾斜を使ってピンそば80センチ弱に。逆転劇の始まりに指笛が鳴り響く。13番のバーディーで首位に並ぶと、15番で伸ばして一時単独トップの17アンダー。直後に並んだシンプソンをPOで退け「早く終わってくれと思っていた。とても苦しかったけど、勝つことができてうれしい」と最終日では自身最大差となる4打差の逆転Vに胸をなで下ろした。

 今大会は1週間で米ツアー史上最多の65万5434人が観戦に訪れた。昨年はツアー屈指の人気者、リッキー・ファウラー(28)=米国=とのPOで「99%は僕の応援じゃない」と大アウェーのなか優勝をもぎ取ったが、今年は一変。POの17番でグリーンへ向かう時には、米国人のシンプソンではなく自身の名前がコールされた。「たくさんのギャラリーが来てくれて楽しく集中してプレーできた」。昨年大会覇者として本場のファンに認められ、日本人が受けたことのない声援と期待に応えてみせた。

 歴史を塗り替え、ポイント制で年間王者を決めるフェデックスカップランク、今季賞金ランクともに首位に立った。一方で世界ランクは5位のままと、日本男子で過去最高の中嶋常幸の4位に及ばず「日本で(史上)一番の選手かと言われると、まだそう思わない」。さらに「プレーオフを4ホールやったくらいで、へばっているようでは話にならない」と力を込めた。悲願の日本人初の海外メジャー制覇へ―。どこまでも貪欲な男は、まずは4月のマスターズで未知の頂に挑む。

 ◆松山が達成した米ツアー記録

 ▽日本男子単独最多優勝 松山は今大会で4勝。過去に丸山茂樹が3勝。青木功、今田竜二が1勝。アジア男子最多は崔京周(韓国)の8勝。

 ▽同一シーズン複数回V 男子初。女子では岡本綾子、宮里藍、野村敏京らが達成。

 ▽大会連覇 日本男子初。米男子では03、04年ソニー・オープンのアーニー・エルス(南アフリカ)以来。日本女子は87、88年に岡本綾子がサンディエゴ・イナモリクラシックで達成。

 ◆松山 英樹(まつやま・ひでき)1992年2月25日、愛媛・松山市生まれ。24歳。4歳でゴルフを始める。10年、高知・明徳義塾高から東北福祉大に入学。同年アジアアマを制し、日本人アマ初のマスターズ切符獲得。翌年、27位でローアマ。三井住友VISA太平洋マスターズでツアー史上3人目のアマV。13年にプロ転向し、賞金王に。14年から米ツアーに本格参戦。ツアーは日本8勝、米4勝。家族は両親と姉、妹。180センチ、90キロ。

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