藍“完全燃焼”31歳早すぎる引退!昨年11月に決めていた


中京テレビ・ブリヂストンレディス最終日、18番でパーパットを沈めてファンの声援に応える宮里藍

 女子プロゴルフの宮里藍(31)=サントリー=が26日、今季限りでの現役引退を発表した。29日に都内のホテルで会見する。親しい関係者には昨年のうちに引退の意思を明かしていた。宮城・東北高3年時の03年に女子ツアー初優勝し、日本中を「藍ちゃんブーム」で席巻。10年には男女を通じて日本人初の世界ランク1位にも輝くなど日米通算24勝を挙げた。注目の次戦は6月8日開幕の日本ツアー・サントリーレディス(兵庫・六甲国際GC)に出場する。

 藍が電撃引退を発表した。26日午後4時、報道各社に「2017年シーズンの終了をもって、ツアー現役生活を引退することとなりました」とメールを送付。関係者は「29日に本人が会見を行いますので、詳しくはその席でお話しさせていただきます」と理由は明かさなかった。

 宮城・東北高で2学年後輩の原江里菜は、昨年11月のTOTOジャパンクラシック出場の際に本人から引退の決意を聞いたと明かした。「寂しいけど、背負ってきたものが私たちと違うから」。プロ転向や米ツアー挑戦などの重大な決断は周囲に相談したが、藍は「初めて自分で決めたこと」と明かしたという。

 東北高3年の03年9月に史上2人目のアマチュア優勝を果たし、10月に初の女子高生プロになった。05年には北田瑠衣とのコンビで第1回W杯を制覇。06年に20歳で米女子ツアーに本格参戦し、09年のエビアンマスターズで初優勝した。10年には日本人最多の年間5勝で、男女を通じて日本人初の世界ランク1位に輝いた。

 米通算9勝は17勝の岡本綾子に次ぐ日本人2位。辞書を片手に外国人選手と食事を共にするなど習得に努めた英会話は、今では早口でまくし立てるほど上達した。一昨年はツアーのコース設定委員会、昨年は運営に携わるプレーヤーディレクターの一員に選出。米女子ゴルフ界で認められる異例の日本人となったが、米メジャー優勝と日米の賞金女王には届かなかった。

 加え好感度も抜群で、日本ではゴルフの枠を超えたブームを巻き起こした。藍が初優勝した03年の日本女子ツアーは31試合開催で賞金総額19億5560万円だったが、今季は38試合で37億1500万円と倍増。同学年の横峯さくらと毎試合のように優勝を争い、2人の姿に刺激された諸見里しのぶ、上田桃子、有村智恵ら若手が次々に台頭した。

 ただ、12年に2勝して以降、飛ばし合いの様相が濃くなった米ツアーで、結果を残せなくなった。14年以降の賞金ランクはシード権の80位前後。ある関係者は「(引退は)シンプルな理由」と明かした。プロ入り後、常にハイレベルな戦いを続けてきたこともあり“完全燃焼”したのかもしれない。日本女子プロゴルフ協会の小林浩美会長は今週、藍に電話をもらったと語り「相当長く悩んでいたようです。重圧も大きかったでしょうし、まずはゴルフから離れて休んでほしい」とねぎらった。

 06年の米本格参戦以降、春先の日本ツアー出場は毎年1~2試合程度だった。だが、今年は地元・沖縄のダイキンオーキッドレディス、スポンサー契約を結ぶワールドレディスサロンパスカップと中京テレビ・ブリヂストンオープンに出場。6月8日開幕のサントリーレディスが控える。5月上旬からは「アメリカに行ってからは初めて」と1か月半も日本に滞在。ファンやスポンサーへの“恩返し”出場は、誠実な藍らしい引き際だ。いったん米国へ戻る見込みだが、今季の最終戦は未定。29日の会見で、第一線を走り続けた15年間のプロ人生に別れを告げる。

 ◆宮里 藍(みやざと・あい) 1985年6月19日、沖縄・国頭郡東村生まれ。31歳。レッスンプロの父・優さんの影響で4歳でゴルフを始め、ジュニア時代から活躍。宮城・東北高3年時の03年9月のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンでアマ選手として30年ぶり、国内ツアー史上最年少Vを達成。同年にプロ転向、日本ツアーでは通算15勝。05年はW杯で優勝。06年から米ツアーに本格参戦し、9勝。10年には世界ランク1位に。聖志(40)、優作(36)の兄2人もプロゴルファー。155センチ、52キロ。血液型B。

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