米山、史上最多5人PO制しシニア初V


シニア初優勝を果たし、プレゼンターの原辰徳さん(左)から祝福される米山(カメラ・小野田 寛)

 ◆男子ゴルフシニアツアー ファンケルクラシック最終日(20日、静岡・裾野CC)

 米山剛(52)=ヨネックス=が日本シニアツアー史上最多の5人によるプレーオフを制し、シニア初優勝を飾った。米山、スティーブン・コンラン(51)=オーストラリア=、清水洋一(54)=フリー=、金鍾徳(56)=大山GC=、真板潔(57)=フリー=が通算7アンダーで並び、18番パー5を舞台としたプレーオフに突入。3ホール目に米山が劇的イーグルを奪取。シニアツアー参戦3年目で歴史的な勝利を手にした。

 5人の渋いオジさんたちが18番パー5のティーグラウンドに密集した。国内シニアツアー史上最多人数のプレーオフ。「和気あいあいとした雰囲気の中で、いざショットする時は空気が変わる。楽しい」。米山は笑顔で勝負に挑んだ。

 1ホール目の第2打でOBをたたいた真板が最初に脱落。2ホール目でピンチに陥ったのは米山だった。第1打を左ラフに曲げ、第2打は刻むだけ。第3打はピン奥7メートル。「金さんのイーグルパットは私のバーディーパットより短いんだから、もうダメだと思った。絶対にショートだけはしないように打った」。覚悟を決めたバーディーパットはど真ん中からカップイン。この時、確かに流れは変わった。

 金がイーグルを逃して迎えた3ホール目。米山が攻めた。1、2ホール目は左に曲げていたが、初めてフェアウェーキープ。残り234ヤードの第2打。「5ウッドでは大きい。(ひとつ下の番手の)4Uでフックめの強いボールを打つしかない」。体ごと回転し、右足を前に踏み出すようなちょっと格好悪いフィニッシュだったが、右に打ち出されたボールは左に弧を描きながらピンに。グリーンに着弾した瞬間、清水は「入ったんじゃない?」と脱帽。ピン手前30センチのスーパーショットだった。圧巻のイーグルで激闘にけりをつけた。

 1999年にはレギュラーツアー3勝、賞金1億円を突破。ランク5位まで上り詰めたが、首、腰を痛め、低迷。勝利に見放されたまま、15年からシニアツアーに参戦。シニア初、レギュラーを含めると18年ぶりの勝利の美酒だった。「レギュラーから消え去った男でも応援を続けてくれる人たちがいる。若い時は思いを理解していなかった。今は心からありがたいと思う」。会場から車で約40分の神奈川・南足柄市出身。シニアゴルフの神髄が詰まったプレーと結末に、ファンは大きな声援を送った。(竹内 達朗)

 ◆プレーオフ最多人数 国内シニアツアーの過去最多は2009年コマツオープンの4人。今回、8年ぶりに最多記録を更新した。国内男子レギュラーツアーは1961年日本オープンの5人。国内女子ツアーは84年美津濃トーナメントの6人。米男子ツアーでは94年のバイロンネルソンクラシック、01年のニッサンオープンの6人が最多。ちなみにバイロンでは水巻善典、ニッサンでは伊澤利光がプレーオフに加わったが、惜しくも敗れている。米女子ツアーでも2度、6人によるプレーオフが行われた。

 ◆米山 剛(よねやま・つよし)1965年3月15日、神奈川・南足柄市生まれ。52歳。12歳からゴルフを始める。相洋高から日大に進み、85年日本学生、86年日本オープンローアマなどを獲得。87年にプロ転向。99年に三菱自動車トーナメントで初優勝するなど3勝を挙げた。2015年にシニアツアーデビュー。レギュラー時代から、創業家と同姓という縁でヨネックスの看板プロを務めている。174センチ、71キロ。

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